時代劇をやめないで!

「京都府と京都市は7日、在京民放キー局5社に対し、

連続時代劇の継続を求める要望書を提出すると発表した」と新聞に書かれていた。

その理由に、「時代劇には衣装や結髪などの専門的なノウハウがあり、

途絶えれば日本文化を世界に発信するコンテンツを失う」と府は話しているそうだ。

このようなある意味で「物質的」損失も大きいだろうが、

それだけなら何か手を打つことは可能であろう。

先日も書いたが、私が危惧することは精神的な日本文化の消失である。

立ち居振る舞いから礼儀作法など、いわゆる形式から学ぶ精神性はある。

何でもかんでも現代劇のようではならないのではないかと思うのだ。

私は日本がアメリカのようにはなって欲しくない。

これはアメリカが悪いというのではなく、

あくまでも分化の違いが論点である。

アメリカにはアメリカの文化があり、それは尊重されてしかるべきだ。

同様に日本固有の精神性を、その形式も含めて大切にしたいと私は思うのである。

目上の人を名前(first name)で呼ぶような分化は日本には宿って欲しくはないのだ。

精神性は、思想・哲学・倫理観は、ア・プリオリに成立するものではない。

形式と呼ばれる「かたち」によって支えられている部分が非常に大きい。

形式からでなければ学べないし後世に伝えられない精神性は間違いなく存在する。

だからこそ、形式を守る努力は大切なのだと思う。

形式ではなく、単なる知識として伝統文化を守ることは

日本古来の価値観を否定することに他ならないのだと思う。