日本人気質?
長いあいだ書かなかった原発についてです。
というか、原発の問題とされている「問題」についてという方が正確かも知れません。
東日本大震災の大きな後遺症としていまだ問題満載の福島原発ですが、
これが原発の是非論として議論がなされているように思えます。
でも、はたしてこれは原発の是非の問題として片付けて構わないのでしょうか?
たしかに原発の是非については国民で議論されるべき問題ですし、
その議論がないままに原発を国策としてきたのは問題かも知れません。
しかし、今回の事故に関しては原発の是非というかたちに矮小化させてはならないと思います。
今回の問題の唯一の論点は、安全対策あるいは危機管理だろうと思います。
それも、見かけ上は安全対策の問題としか言えませんが、
そうではなく、日本の政治に巣食う大きな化け物の問題だろうということです。
話を変えます。
神戸に大地震が来た翌年に神戸空港は着工したように記憶しています。
その時の耐震基準は震度6です。
その前の年に震度7が来ているにも関わらずです。
百年安心の年金は、その想定が出生率・所得の伸び・物価の全ての予測値を
「ありえない」数字にしてなんとか百年安心の数字にこぎ着けました。
しかし、現実的にこんな薄っぺらい期待は裏切られることとなり、
その後の厚労省の新たな試算がでましたが、
これも出生率は何の根拠もなく高止まりし、
物価は上がらず、しかし所得は非常に伸びると言った想定でなされています。
原発の問題もまったくの同根で、
あんな海際に立っているのに防水がなされていないという事実に唖然としましたが、
それよりも、津波は例えば5メートルしか来ないとか電源は消失しないとか、
一体何の根拠で?と首を傾げる想定で建設がなされ運転され続けてきたわけです。
そして、今回の地震は「想定外」だったという訳です。
何度でもいいます。
危機管理とは最悪を想定してなされるものです。
過去最大の津波と同程度のものが来ても耐えられるのか?
それ以上の津波をどこまで想定するのか?
それ以上の津波が来た時に電源は確保できるのか?
もし電源が確保できなかった場合に、
どのようなバックアップがなされているのか?
などなど、最悪、最悪の状況を仮想し、
ここまでなら大丈夫を知るとともに、
これ以上来たら対処できないということも同時に知らなきゃならないということでしょう。
年金もそう、出生率も最悪を予測し、所得の伸びも最低を予想する、
その上での試算こそが正しいわけです。
で、何がいいたいのかはすでにご理解いただけているでしょうが、
この「その場しのぎ」というのか、「無責任」というのか、
もうなんて表現するのが正しいのか分かりませんが、
とにかく、これら事象に共通する感覚こそが今回の原発問題の最大の問題であって、
決して原発の是非の問題で終わらせてはならないということです。
もちろん原発の是非については新たな議論が必要ですし、
それは非常に重要なことだろうと思いますが、
それとこれとは議論の土壌が異なるということです。
いま、この「日本人気質」ともいえそうなごまかしを正す良い機会であることは間違いなく、
TPPの問題にしても同じ轍を踏まないということが、
日本を変える大きな一歩ではないかと思います。