松本さ〜ん!

松本復興担当大臣がとんでもないことを言ってしまいましたね。

私は基本的に活字情報しか目にしないので「また例の失言か」くらいに思っていたのですが、

その発言の様子を映像で見てびっくりしました。

「上から目線」などと軽々しい言葉では済ませられないほどの

他人を見下した態度や物言いには、

この手のことを見慣れているはずの私たちでも言葉を失うくらいです。

これは言葉の重さ軽さの問題でもなければ失言といった問題でもない。

もう、基本的に自分のことを特別であると勘違いした人間性の問題でしょう。

しかし、そんな人間性の政治家などこれまでにもいたはずですが、

彼らよりもなお知性が足りない・・・いや、足りないというのでは物足りない。

足りないというのはまだ存在することを意味するのだから、

知性がないというより他に正しい日本語を思いつかない。

こういう人を見るといつも感じるのが

「親御さんはどんな教育をしてきたんだろう」ということです。

他人をののしって、それが正しいという態度が示すものはただひとつです。

それは「自分こそが絶対的に正しい」ということ。

すなわち己の価値観以外はまったく認めないという「信念」がなければ、

平気で他人をののしることなどできるはずがない。

自分は正しくても、それ以外の意見や考えが同時に正しいことなどいくらでもある。

視点や立場によっても物事の是非は異なってしかるべきでしょう。

人はこのことを知っているから他人の意見を聞こうと努力するのです。

自分の意見の一方的な主張をひとまずは遠慮するし、

それが知性を持った人間のとるはずの行動であるはずです。

己の価値観のみを正しいとし、それを主張するのみならず相手にもそれに従わせ、

なおかつ、その貧困な価値観のみを拠り所として他人を罵倒するという行為は、

「恥ずかしい」と感じられるべきものでしょう。

昔から「恥を知れ」といわれますが、

その言葉の意味をこれほど明確に示してくれる例もあまりないでしょうね。

天上天下唯我独尊という意味ではお釈迦様のような人かも知れませんね。

 

問題は、発言の真意ではありません。

それ以前に信頼に足る人間ではないというところに最大の問題が潜んでいます。

西洋などでは人格よりも行動力を評価することがあるのかも知れません。

日本でも同様の価値観を耳にしますし、

例えば田中角栄元首相などを例に出し「人格よりも実力」なんていう意見もあるみたいです。

ただ、勝手な思い込みかも知れませんが、

少なくとも日本という国では、実力だけでは人の上に立てないし人はついて来ないと思います。

まずは、周囲の人を惹き付ける人格、あるいは人徳といってもいいかも知れませんが、

それが決定的に必要だということです。

そして、公明正大でなくても良いということの本質として、

場合によったら法に触れることであってもするという話だろうと思います。

その是非に関しては私には分かりませんが、

どんな小さな社会であっても、その決まり事がありますし、それに反する「必要悪」もあるでしょう。

絶対に法を遵守することで必要悪にも手を染めないのか、

周囲に求められる場合には法に触れることでも実行するのかについての議論であって、

今回のような卑しい、下劣な人格の問題とは一線を画するし、

何をおいても、同じ人間を見下すような人間を私は認めるわけにはいかない。

 

まあこれに関しては、その表現方法の違いこそあれども、

任命権者の人格とも根本的に相同な一面もあり、

そう考えるとなにか面白い法則性が存在するのかもしれませんが、

そう茶化せるのは政治に信頼を持てなくなったからなのか、

それとも私に当事者意識が希薄なのか?

どちらにしても由々しき問題だろうと思います。