時間
時間とは相対的なものだという。
それはおそらく間違いないだろう。
だが、私たちは物事を考える時に「絶対的な時間」を想定している。
発生の時間と進化の時間は絶対的なものとして思考の前提におかれている。
単にショウジョウバエの発生とマウスの発生を比較する場合にも
同じ時間軸を元に議論がなされるし、
それは分子の規定する時間、たとえば転写や翻訳にかかる時間などが
たがいに比較可能であることからもある意味では当然だろう。
ただ、それを人間の脳が感じる時間感覚で論じることが可能なのだろうか?
こんなことを漠然と考え始めたらこれまでの思考が崩壊し始めた。
我々の思考・思索に関して、あるいは言語や論理に関して考えている時に、
それを考えているのは私たちの脳であり、
私たちの持つ論理体系であることに気付き愕然とする瞬間のようだ。
いまは時間について考えているが、
同時に空間の問題も生じるのは必然だろう。
生物の発生・進化を考える時の根本的な問題が、
実はこの辺りに存在していると考えるのは穿ち過ぎだろうか??