パトロン

研究ってものは今のように大層なものではなかったそうだ。

例えば、お金持ちがパトロンとなって一風変わった人間を子飼にする。

で、ウチにはこんなに面白いヤツがいるよって金持ち同士が自慢し合うわけだ。

言わば昆虫採集のようなものであり、

その中に、例えば博物学者がいたりしたそうだ。

「ウチの学者はこんなに変わったことを言う」と自慢し合うみたいな具合だったのだろう。

今ではそのパトロンは大きくみたら国家に移った。

ということは税金で研究者を子飼にしているとでも言えるだろう。

パトロンは金を出す訳だから、もちろん口も出すだろう。

自分の趣味を大いに押し付けもするだろう。

それが国家となると、なにがしかの大義名分が必要になる。

だから、ちょっと勘違いをなさるパトロンさんは「二番ではいけないのですか?」となる。

 

パトロンさんが非常に優秀であれば問題ない。

でも、ボンクラが口を出すと研究者はたまらない。

その都度周囲の目を気にして、周囲からけなされたら

自分の眼でものを見、自分の耳でものを聞くことをせずに、

根拠もなくその研究を批判する。

その一例が「二番では・・・」につながるのだろう。

この場合の「周囲の目」とは国民であるのだが、

まあ一般ウケだけを至上命題とした大衆迎合的な感覚にしか見えない。

それをおそらくご本人はまったく気付いていない。

まあ、それも仕方ないことではあろう。

 

さて、パトロンである。

私は個人的にはパトロンの存在が科学の発展には欠かすことができないと考えている。

実利主義で基礎科学は育たないということは誰にも賛同いただけると思う。

しかし、それが成功しても利益を産み出す可能性が見えない研究に、

しかも、成功するか失敗するかも分からない研究に、

酔狂でお金をつぎ込める度量をもつことはなかなかに難しい。

その人の、あるいはその企業の、国家の器の大きさの問題であろう。

そして、その度量の大きさと科学の進展はおそらく正比例する。

ストーマーは言った。

「良い科学者の引き出しには、間違っていた為に発表されなかったデータがぎっしり詰まっている」と。

たくさんの無駄がなければ光るものなの見いだせない。

いや、むしろ光るものは見いだせなくて当たり前なのだ。

無駄の中に、光るものを見いだせれば儲けものである。

それを「成果主義」という化け物が壊しつつある。

 

もちろん問題は大きい。

どこの大学にも研究をあきらめているように見える教員がいる。

研究室に昼頃にきて、コーヒーを飲んで夕方早く帰る人がいる。

それはもちろん批判の対象になりうる。

税金を使って遊ばせているのだから当然だろう。

しかし、その議論を突き詰めれば成果主義の議論へと向かう。

すると、数年で成果を確実に出せるテーマしか研究者はしないこととなる。

数年で成果が確実に期待できるってことは、

研究を始める前からある程度は結果が予想されるってことで、

それって科学なんですか???

海のものとも山のものとも分からない、

どんな結果になるのか予想だにできないことをやって初めて

予想だにできない成果が生まれ、それが科学の発展につながるのではないのですか?

そして、そのような研究には必ずリスクはつきまとう。

データが出ない危険性が高い確率で存在するのである。

要はパトロンがそれを許容できるのかできないのかに科学の未来はかかっている。

10年に一度、何か大きなものを見せてくれる研究を期待するのなら、

20年間なにもでない危険性をも受け入れられなければならない。

この手の話をすると、一般論では「失敗してもいいから大きなテーマをしなさい」と言われる。

しかし、そういう人に限って一年二年と成果が出ないと不機嫌になる。

そして「二番では・・・」となる。

 

研究者仲間にもいろいろとあって、

むしろ「研究は競争だ」と考えるタイプの人もけっこう多い。

他人と競争して一秒でも先に成果を上げることに喜びを見いだす人だ。

それはそれで科学のひとつの発展力となっているのだから構わないが、

その価値観だけが幅を利かせるようではマズいと思う。

競争する分野というのはゴールが見えている場合が圧倒的に多い。

そのゴールにいかにして早くたどり着くかの競争なのだ。

ゴールがない場合には競争にならない。

しかし、科学の本質はゴールのない競争だろうと思う。

なんかウロウロしていたらいきなり目の前に黄金の谷が現れたってのが科学だろうと思う。

それを国家が許容できるかどうかでこの国の科学の未来は明るくも暗くもなる。

研究者を信じて20年間の暗黒期を我慢できるのかどうかである。

 

ちなみに、現在競争の激しい分野というのは

ほんの10年前まではほとんど研究者がいなかった。

そこで暗黒期を耐え抜いて、黄金の谷を見いだした途端に、

他の研究者がわらわらとハイエナのように集まってきて黄金の奪い合いを始めた。

科学の本質から見れば、黄金の奪い合いからはなにも創造できない。

やはり、優秀な人々が長期間ジャングルをさまようことのできる

食料や備品を供給できるパトロンがいるかいないかって問題になるのだろうと思う。

 

個人的には、税金からの補助にはその思想的にも限界があるように思う。

大規模である必要など全くないから、

どこかの大金持ちや大企業が個人の趣味でパトロンとなるのが理想的だろうと思う。

ただし、今では会社も株主のものだということになり、

生産性のない投資は株主賠償を求められたりするからなかなか難しいのだろう。

欧米の成果主義を金科玉条のように崇め奉る風潮が多いのだが、

本当にそれで日本の科学は大丈夫なの?と心配になる。

これこそ国家百年の計だろう。