丸山工作先生
丸山先生にはかなりお世話になりました。
人格者という言葉にふさわしい方で
でも昭和のオヤジのような雷が落ちることもありました。
でも、そこには愛を感じられました。
「丸山工作先生」(2004,7,1)
丸山工作先生が昨年秋に逝去された。
京都大学教授・千葉大学学長・入試センター長を歴任された、
日本が誇るべき研究者であり教育者であった。
丸山先生は、私が参加させていただいていた研究グループの総括であった。
丸山先生を偲んで、ここにひとつの逸話を紹介させていただきたい。
丸山先生は、筋肉が収縮するメカニズムを研究する世界では
トップレベルの仕事を継続的に発表してこられた。
その時の先生の論文を検索すると
かなり頻繁にJournal of Biochemistry(JB)を探し出すこととなる。
これは日本の学会が出版している欧文雑誌である。
雑誌には一般的に、自信作を投稿してもそう簡単には掲載されない
(というより、投稿しようと思えるレベルの研究成果すらなかなか出せない)
ような 世界のトップ雑誌を筆頭に、
雑誌に応じて順にランキングがあるとされる。
JBは、確かに一流雑誌であることは間違いないが、
どうひいき目に見ても世界のトップからはまだかなりの距離があった。
雑誌のランクというのには「商品価値」的な付加要素も確かにあるが、
それ以外に、世界中で「一流紙」として認められている雑誌には
やはり素晴らしい論文が掲載されることは事実であり、
だからこそ購読者も多い。
したがって、その雑誌に掲載された論文は世界中の人に読んでもらえる。
逆に、雑誌のランクが下がるにつれ購読されにくくなる。
ということは自分の論文を世界の人に読んでもらえないのである。
時のトップランナーであった丸山先生が
ご自身の論文をJBに投稿なされた理由についてある人は言う。
「丸山先生は、自他共に認める世界一の論文だからこそ
JBに載せて日本の雑誌のレベル(対外的な認知度)を上げようではないか!
という 崇高なお考えの元にあえてご自身の論文をJBに投稿し続けておられた」と。
さて、このことのすごさは二つの意味を持つ。
まずは研究者としての丸山先生のすごさ。
世界のトップレベルの研究成果を得ることがいかに難しいことか、
研究に限らずスポーツでも何でも世界で一番になることは
普通に考えると不可能であるくらいに難しい。
これを長年に渡って維持し続けてきた事実だけでも丸山先生の名は永遠に語り継がれる。
しかし、もう一つの意味の方が実はすさまじい。
もし私が「最先端」と呼ばれる分野で世界に打ち勝って独創的な研究成果を上げたときに、
その論文をトップの雑誌に投稿しないことができるのだろうか?
欧米の科学者が定期購読をしていない、
だからわざわざ取り寄せなければ欧米の科学者の眼にさえ触れない雑誌に
あえて自分の論文を投稿するだろうか?
強い意志と崇高な理念の両立がなければこれはなしえない。
その雑誌を購読していない人たちに、
あらたに購読を始めさせようとするエネルギーのもの凄さは筆舌に尽くし難い。
この、丸山先生の人としてのもの凄さを、
私の拙い文章が完全に表現できているとは到底思えないが、
ずっと後を追い続けるべき長い道を丸山哲学は私に残してくれた。
私にとってそれは「研究者として」よりも「人間として」の哲学である。
丸山先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
(丸山先生は2003年11月19日に逝去されました)