神様は「かたちの緩衝剤」として考えられないだろうか?

このような考え方は、敬虔な信者からは嫌われるかもしれないが、

かたちの安定が心の安定であるという立ち位置から考えると

どうしても、その瞬間瞬間で変わる周囲の状況に対して

心の安定を保とうとするならば

どこかで、環境の変化を吸収する何かが必要となろう。

 

それを宗教に求める気持ちは絶対的に必要である・・・・・

ちがうな、それを宗教に求めるのではなく、

そのような状況から必然的に宗教が生じてきたと考える方が理にかなっていると感じる。

そういう「心のよりどころ」を何らかのかたちで作らないと

人間として安定な心を維持できなかったのではないのだろうかと思う。

人間はどうしても自然界に頼らなければ生きていけない。

しかし、自然界は気まぐれである。

晴れの日も雨の日もあれば、地震も干ばつもある。

とすれば、その変化に精神的に適応する為には

自然を超越する存在としての神の存在を認めなければ

人間としての安定を保証できなかったのではないかと想像してしまう。

 

初めに神ありという考えではなく、

神の存在を我々がどのように受け入れてきたかについて考えたら

こんなことをふと思った。