細胞数とあいまいさ

かなやまさんの質問にあった「どれくらいの細胞数ならあいまいなものが出て来て、どれくらいならあいまいじゃなくなるかの線引き」・・・って話ですが, これは人間が数えて納得する話ではないと思っています。 こんなことを言えばそもそもがサイエンスを否定しているような感じもしますが・・・。

 

少数の細胞でパターンを決めなければならない場合には 個々の細胞の運命をある程度はしっかりと決めなければならないのは 普通に考えて理解できるように思います。 ある個体では神経の元となる細胞が10個で,別の個体では20個だってのは ちょっと無理があるように感じられるからです。 というのも、全細胞数が固定されているのだから神経細胞の増減だけでは済まず、 神経が増減したら中胚葉が減るとか表皮が増えるとかが当然起こりますし,高々100個程度の細胞数でそんなことをしていたら,その生きものは生き残って来れなかったのではないでしょうか?それに比べて,細胞数が万を超えると逆に一つ一つの細胞の運命を決定する機構を確立する方が難しくなり,また万単位の細胞一つ一つを制御する複雑さを考えたら、そのような機構を持った生きものも生きながらえることはできなかったのではないかなどとも思います。だから、あいまいなパターン形成を一義的に行ない,その後の発生過程でよりシャープなパターンに磨き上げるという方法論を必然的に採用したのではないかと思います。実際に,脊索前板と脊索は当初は同じ領域に形成されますが、原腸形成運動に伴ってそれぞれが自分のいるべき場所に集まるのは知られていることで,また底板と脊索も進化的には同じ由来を持つ細胞なのですが、これも原腸形成過程を経て両者が上下に分かれて脊索と底板が形成されます。これらを最初から一度に決めると言うことは基本的に無理だったので,このような方法論を採用したのではないかと思えます。なので、たとえばホヤ初期原腸胚の細胞の数が一桁増えたらおそらくパターン形成はできないと思いますが、ツメガエルの初期原腸胚が10万個の細胞から成るとしても,パターン形成過程だけに限れば何とかなりそうな気はします。逆に言えば,ホヤのような発生機構では細胞数を増やすことを拒否していたともいえるかもしれません。

 

卵形成の話は、昔から大好きなのですが種によって本当に異なるので訳が分からなくなっています。もう少し勉強してから何か理解できたらご紹介致します。