脊椎動物と無脊椎動物6「誘導」
ここで視点を変えてみます。BMPなどの分泌因子が隣接する細胞群に働きかけてその運命を変えさせる現象を「誘導(embryonic induction)」と呼びますが,分子的に見るとこの現象は多くの多細胞生物で行なわれているのです。BMPの親戚は昆虫にも見られますし,もちろん昆虫でもBMPは分泌され隣の細胞に影響します。しかし、初期発生過程を見る場合に私は脊椎動物で見られる「誘導」とその他の生きもので見られる「誘導」は分けて考えなければならないと考えています。分子機構は両者ともまったく同じであると考えていいでしょう。ただ,その「意味」が異なっていると思うのです。これを説明する為に,脊椎動物と原索動物の違いを見ましょう。様々な違いがこれまでに語られていますが、私は初期原腸胚(動物の体制が決められる時期)の細胞数に着目しました。脊椎動物に最も近いとされているホヤでは110個の細胞からなり,それぞれの細胞の予定運命は決まっています。それに比べて脊椎動物をみると、たとえばゼブラフィッシュやツメガエルの初期原腸胚は数万の細胞から成ります。当然のことですが、脊椎動物では細胞の予定運命は決まっておりません。というか、数万の細胞の一つ一つの運命を決めるような発生機構を獲得することが進化の上では決して有利ではなかったのでしょう。ただ,私はここで少し極端に考えます。たとえば,原索動物から脊椎動物が現れたきっかけは、遺伝子に何らかの変異が入った結果として細胞増殖の制御が効かなくなり、初期原腸胚の細胞数が爆発的に増えたのではないだろうか?という見方です。そうすると、それまでは一つ一つの細胞運命をしっかりと決定しておけばそれで良かった個体の制御機構が効かなくなります。この細胞が神経になって・・・なんてできなくなる。一気に二桁細胞数が増加するということはそういう意味を持つのだろうと思うのです。おそらく,そのような変異を持った個体は正常発生をできないでしょうから,その変異は子孫に残されることはあり得ません。しかし、もしここで分泌因子のシステムを用いた「誘導」を体制の決定に利用したら何とかなるのかもしれません。というのは、一つ一つの細胞運命の決定をあきらめ、「何となくこの辺りの細胞群」をたとえば神経へと分化をさせる。また,「誘導」を取り仕切る細胞群も,特定の細胞というよりは,「何となくこの辺りの細胞」という感じで大まかに決めてやればそれで大丈夫という感じにする。こうすることによって,受精卵から一つ一つの細胞運命を厳密に決めなくても、卵に存在する「何となく背側と腹側」「何となく動物極寄りと植物極寄り」のような大ざっぱな座標軸でオーガナイザーを形成し,オーガナイザーが接する大まかな領域を神経へと誘導するようなざっくりとした機構で体制を決めることができる。逆に、初期原腸胚での細胞数が少なければ,大まかにざっくりと細胞の運命を決めてしまったら、マズいことが起こるのは想像に難くありません。少ない細胞の中で神経になる細胞数が個体によって異なることは種の維持をいう意味においても良いはずが無いと思うのです。
では、現実に何が細胞数の増加に関与しているのでしょうか?それは,たとえば魚類や両生類に見られる「中期胞胚転移(MBT)の獲得」に秘密があるのかもしれません。ツメガエルでは、受精後に中期胞胚にいたるまで12回ひたすら卵割を繰り返す現象が知られています。この間は遺伝子発現を完全に抑えてただ黙々と細胞分裂を繰り返すわけで、いわば単に細胞の数だけを増やすだけの機構にも見えます。受精から12回分裂した後には約4千個の細胞数になっています。この過程が無ければ細胞数が増えることはありえません。だから、もしも受精直後から遺伝子発現が解禁されていたとすれば、少数精鋭の細胞で個体を作ることができるのかもしれません。しかし、なぜかそれを選択しませんでした。結果として細胞数を増やし続けた末に生じる原腸胚では,特異的な領域での遺伝子発現制御が胚の「何となくこの辺り」という感じで決められているように感じてなりません。哺乳類にはMBTはありません。マウスでは受精後比較的早くに遺伝子発現は始まります。だから,この話に意味は無いと考えるのはどうでしょう?下でも議論しますが,最初に細胞数を爆発的に増やすことによって神経堤などの脊椎動物特有の細胞群が生じたとしたときに、その後の進化は、神経堤やプラコードなどを維持する方向に淘汰圧はかかるはずですから,仮にMBTがなくなったとしてもそれに変わる何らかの機構は存在していておかしくありません。また,哺乳類の受精卵は,その大半が将来の個体にはならず胎盤など胚を維持する構造物になりますから,その中で俗にES細胞として知られる内部細胞塊の数が胚の体制を決める前に増えれば要は足ります。
ではなぜ、MBTのような決定的に異なる発生様式を選択したのでしょうか?その理由は分かりませんが、何にしても、何か進化の上で有利なことが無ければならないとは思えます。私はそこに,神経堤・プラコード・脊索前板獲得の秘密があるのではないかと思うのです。要するに,脊椎動物を規定する細胞群を生じる為には,初期発生の段階で細胞数を異常に増やすことが必然だったと考えるのです。爆発的に細胞数の増えた原腸胚では個々の細胞の運命を決定できませんので,大まかな決定機構を獲得しなければならない。そうすれば、大体この辺りが神経で,残りの部分が表皮で・・・となるわけです。しかし、一つ一つの細胞の運命を厳密に決められないわけですから、分泌因子を用いて隣接する細胞を分化させる方法論を用いるしかありません。この際に,分泌因子を用いるという意味での分子機構としたら、昆虫などの生きものとまったく同じであるはずなのですが、その因子を分泌する細胞数が多く、また厳密な領域も規定されていないわけですから,標的となる細胞もまた厳密に規定されようがありません。だから、何にも分化できない細胞が境界領域に生じ,このどちらにもならない細胞たちは多分化能を持った(未分化な)状態を維持するかたちでいるしかありません。したがって、何らかの変異によって細胞数が増えた原腸胚にはこれら多分化能を持った細胞が必然的に現れることとなります。
要は,何か特別な機能を獲得して神経堤・プラコード・脊索前板などの脊椎動物を規定する細胞群が生じたというよりは,たまたま偶然に卵割期に細胞増殖を制御できなくなった遺伝的な変異が導入されると同時に、個々の運命決定をやめて領域の運命決定を行なう様式へと変更したことにより、多分化能を維持したまま制御不能になった細胞群が必然的に生じる結果となり,それが体の中を動き回って,行った先々でその場に応じた分化を成し遂げ,結果として頭部を形づくる(すなわち脊椎動物を定義する)根源となった、という考え方をするわけです。
このような「風が吹けば桶屋が儲かる」式の議論から,私は脊椎動物の出現の理由を考えているのですが,ここではちょっと議論を端折り過ぎています。ちょっと短絡的に過ぎるかもしれません。なので、これはまたあらためてどこか別のところで論じることとします。
とにかく言いたいことは,たとえばBMPを起点としてその下流の一連の分子群はおそらく進化のかなり早いところで獲得しているわけだが,これはあくまでもこれら分子同士の安定した関係性がかセットとして構築されているだけであり,生きものは必要に応じてそのカセットを利用するに過ぎないし,カセット自体にはアプリオリな意味は無いと考える。そのカセットの意味とは、それが要素として利用されている生物種において規定されるのみであろう。だから、細胞数の少ない生きものでは,それら分泌因子は周囲の不特定多数の細胞たちに影響するようでは正確な個体発生は望めないから,間違いなく標的は隣接する細胞に限られている。この分子レベルでの機構では脊椎動物でも同じであるのだが,それら因子を分泌する細胞の数が莫大に大きくなれば、標的細胞を正確に決めることは難しくなる。個々の細胞の視点に立てば,隣接する細胞に影響するというだけなのだが,分泌する細胞群の領域が正確に決められない以上,誘導を受ける細胞群の範囲が正確に決められるわけも無く,結果として「何となくこの辺り」とならざるを得ないのではあるまいか。同じ分子機構を用いても、その結果が異なることは十分にあり得るわけで,その因果を鑑みたうえで結果論としてそれら分子の意味は決まるわけだから、これも大きな意味での「前適応」と考えてよいのだろう。
橋本さん
質問があるのですが、はしもとさんはどれくらいの細胞数ならあいまいなものが出て来て
どれくらいならあいまいじゃなくなるかの線引きはどうやってされているのですか?
確かに100個と10000個だと、かなりの違いがあるのは想像できますが、
例えば5000ー10000のオーダーと 60000−100000のオーダーだったら
どれくらいの差があるのでしょうか?前者は細胞と細胞のやりとりで一個一個の運命を決めうるのでしょうか?
モザイクといっても、ショウジョウバエとホヤのとりうる戦略は異なっていると思いますし、
クモを扱っていると節足動物の発生がどういう位置づけかというのは、
まだまだ限定できるものではないと僕は思います。
もちろん脊椎動物に「似てる」とか、そういう議論の俎上に載せるつもりはないですが。
追記
文章中の「哺乳類にはBMPはありません。」のくだりは、「MBTはありません」でよろしいですか?
かなやまさん、間違いのご指摘ありがとうございました。
MBTとBMP・・・なんか混乱してたようです。
で,質問の答なのですが、実はまったく分かりません。
実際に浅学な私はすべての脊椎動物を知っているわけではなく、
また,実際にも例の「モデル生物」以外の生きものの情報を得ることも難しいので
ホヤとツメガエルとゼブラフィッシュとニワトリとマウスと・・・くらいを見て
なんかいろいろと夢想しているに過ぎません。
また、節足動物を一般論として扱うつもりはありませんので
そう受け取られる文章を書いていたとしたら私のミスです。
言いたかったことは、脊椎動物に最も近いと考えられているホヤと
たとえば円口類とのギャップがいかにして生じたかということです。
本当はヌタウナギ辺りの発生を知りたいのですが
これは倉谷さんに聞いても分からなかったのでお手上げ状態です。
だから、節足動物とホヤとの類似性を見いだすことに意味があるとは思えず,
一般論として「モザイク卵」と「調節卵」みたいな分け方も
個人的にはあまり意味が無いと思っています。
これはあくまでも私の感想であって、
そういう議論を否定するつもりはありません。
それから、やはり生きものは結果論でしかないと思うので
何個の細胞ならどうというのではなく、
何万個の細胞を持っていても細胞の運命をきっちり決められるのであれば
それでかまわないと思っています。
ただ,そういう生きものを残念ながら私は知らないだけのことですね。
それと,本文にも書きましたが、
分泌細胞と受け手の細胞の間の関係は生物種を通じて同じだろうと思っています。
ただ、分泌細胞が多くて「何となくこの辺り」に形成される場合
受け手の細胞もそれに応じて「何となくこの辺り」になってしまうのだろうと思うのです。
それを厳密に規定することの方が極めて難しいと感じますが。
ご指摘を受けて考えてみると,ちょっと自分でもいい加減な気もしますが、
遺伝子の獲得以外にもこの手のことは起こりえたと思いますし
それが大きな進化の原動力になったと考えてもいいのではないかと
ちょっと考えたことを紹介したかったと受け取って頂けると有り難いです。
なんだか、まともな返信にはなっていませんが,
さすがに、コメント欄でこれ以上ダラダラ書くのも気が引けるので
またあらためてどこかで議論しましょう。
もう一つ重要だと思えることは卵形成過程です。
受精後の発生過程だけを見ると何か見誤りそうな気がするのです。
脊椎動物のボトルネックである咽頭胚を起点に個体発生過程を考えると
卵形成過程も個体発生の重要なステップとして浮き上がって来ます。
ショウジョウバエもクモもツメガエルもニワトリも
あのような卵を作ったからそのような発生過程になったと私は最近思っています。
ショウジョウバエが多核性胞胚を作った直後に原腸陥入を行なうって
あの卵じゃなければできないと思いますからね。
まあ,難しいですね。
はしもちさん
たくさん有り難うございます!!なるほど、、、ですね。
いつも思うのはその個体ごとがおさまるスペースとしての卵があるのだから
マウスにショウジョウバエのeyeless入れてもマウスの目になるの当たり前やん
と大学生の時、思ってました。。遺伝子うんぬんよりもすでに入れものが違うのだから
違う生き物になるにきまってんじゃんと思ってました。
はしもとさんがおっしゃっている卵形成過程のお話はすごくわかります。
というと、卵形成の時点の「卵自体のかたち」の研究がなにか面白そうな気配がしますね。
どういう研究になるのやら。
「お知らせ」欄、回復しました。
「遺伝子」と「入れ物」・・・そうですね。
これが「かたち論」の考え方だと思います。
入れ物が違うのだから同じ遺伝子でも違う働きをして当たり前である、
この考え方がどうも広がらないのが私には理解できないのです。
ひどい人は、昆虫の眼と我々の眼を「相同」だという。
その理由が「相同遺伝子が働いているから」って・・・。
この遺伝子至上主義は発生学には向かないと思えてなりません。
それから、ショウジョウバエは卵形成で初期発生のかなりの部分をやってしまっている。
だから、その後の発生過程が非常に素早いと考えて間違いではないと思います。
ツメガエルも、初期原腸胚で頭部の位置や神経のパターンが出来上がっているから
あとは形態形成運動を通じてそれを並べ替えるだけで済むのに対して
イモリでは原腸形成運動を行ないながら神経誘導とその部域化を行なわなければならない。
だから,自然と発生のスピードは遅くなってしかるべきだろうと思います。
もちろん,胚の大きさだとかいろいろと別要員はありますが
ツメガエルがイモリと同じ原腸形成機構を採用したら
あんなに早く原腸形成過程が終わるとは思えないのです。
近藤滋さんは言います。
「細胞運動をしながら分化制御も受けるというのはありえない」と。
また「そんなことをしたら途中で必ず間違えを引き起こす」とも。
これがどこまで正しいのか分かりませんが
なんとなく上手い表現だなあって私は感じます。
ところで、「複数の遺伝子に変異が入った結果として、
それまでの関係性が維持できなくなって、新しい関係性が確立することが、
ゲノムから見た進化の仕組みではないか?」って言い続けていますが、
ちょっと違うけど、それっぽい遺伝子の総説がありました。
TIG vol.25 No.8 368-376です。
もちろん著者は、synergyを分子で理解しようとしておりますが
現象的には当たり前のことで,
二つの遺伝子でこうなのだから、さらに遺伝子の変異が共存したら・・・
ねっ、網羅的解析で生きものが分かるはずないでしょ?
なんて、思っちゃうわけです。