歌詞

おそらくは橋本オリジナルであり、多くの人はそう考えないのではないだろうなと思うことがある。いくつもあるのだがパッと思いつくことをふたつほど書いてみる。

私は昔から「人の為と書いて偽りだ」と言っている。そう思い始めたのが中高生くらい時だから50年近く前からになる。きっかけは覚えていないのだが、漢字を見ていてふと気づいたような記憶がある。それから「〇〇の為」とは言えなくなった。同じ感覚で「してあげる」という言葉も言えない。そこで止まればいいのだが、他人からその言葉を聞くのも嫌になった。「お前のためだから」「あいつのために」と言われたら、そいつのことを信用できなくなってしまう。説教くさい物言いになるので、こういう考え方を人に話したことはほとんどない。先日、椎名林檎さんの歌詞にまったく同じことがあると教えられた。びっくりした。ってことは、これまでこの話を私から聞いた数少ない人は、口には出さないが、「椎名林檎さんからのパクリ」だと思っていたのだろうか?「それは違う!」と叫びたくなるのだが、その言葉は相手には通じない。

もうひとつ。女性を好きになる。その時に「愛している」という感情が強くなる。もちろんその言葉を相手にも伝える。心が昂って、「愛している」という感情が心の大きな部分を占めるようになってくる。ある瞬間、瞬間というほど刹那的ではないかもしれないが、にふと思う。「愛している」という昂る感情がなくなっている。冷めたのではない。むしろもう少し落ち着いて暖かいところに相手を思う気持ちがあることに気づく。上手に分析はできていないのだが、次元というかフェーズというかステージというか、そういう何かが質的に変化したのだろう。質的な変化なので、「ステージが上がる」のではなく「ステージが変わる」って感じだろう。そうなると、「愛している」という言葉も相手に言えなくなってしまう。気持ち的には、その言葉を言えば今の気持ちが薄っぺらくなるような感覚である。ただ、では「愛している」と言っていた時の感情が薄っぺらだったのかと言えば、それはまったく違う。その時は「愛している」という感情が爆発寸前まで心の中に溜まっていて、これは本心であった。だから、感情の質が変わったとしか表現のしようがないのだ。という話も、恥ずかしいので他人にしたことはない。西洋人などはいつまでも「愛してるよ、ハニー」などと言い続けられるので、あくまでも橋本特有の感情なのだろうと思っていた。で、先日テレビで某歌手(たしかゴスペラーズだったと思う)の曲が流れていた。そのフレーズのひとつに、この「愛してる問題」があった。本当に驚いた。ただ、この歌詞は「愛していると言っている時には本当には愛していない」と読めるから、内容的には私の感情とは違うのだが、でも感情の上辺だけを見れば周囲からは同じように感じられるのだろうなと思う。「私だけの感情」なんて思っていても、かなり多くの人が同じように感じているということなんだろう。

なんか、年度も終わろうとしている日に小っ恥ずかしいことを書いてしまったな。明日からは新年度なので心機一転しなければ!