国際卓越研究大学 その4
研究の種(アイデア)は研究者の人数分だけ存在することだろう。ただ、どんな実が成るかは実をつけるまでわからない。それ以前に、種を発芽させるのがまず難しい。多くの種は芽吹く前に土の中で腐ってしまう。だからと言って種を蒔かずに発芽した苗を諸外国から買ってこようとするのではなく、苦労しても自国で種を発芽させられるだけのお金は研究者に公費として無審査で配布すべきだと私は思っている。その上で、芽が出たものに関してさらに大きく育つ余地があるかないかについては競争的資金の対象として審査すればいい。「選択と集中」でも書いたのだが、いま何もないものを審査することなどできないから、この部分は自由にさせることが重要だと思う。これはなにも研究に限ったことではない。そのうちのどれかが当たることを期待して、多くの企業は無駄かもしれないさまざまなところに投資している。「選択と集中」しかできない企業はもはや背水の陣を敷いた潰れる直前の企業だとも言われている。同じカテゴリーに入れていいかわからなのだが、クールジャパンの一環として日本では過去に「映像コンテンツ」の海外展開のために数十億円の予算をかけて国家が動いたことがあった。これらも結果的には成功せず終了となった。いろいろと原因はあるのだろうが、すでに力のあるアニメなどのコンテンツを売り込もうとしたことも失敗の要因の一つであると言われている。それは、いま力を持っているコンテンツも元々は何の力もなく、自分たちで魅力を作り出していった結果として今の地位があるわけで、その「売れそうなもの」を売ることには限界がある。上記の議論にも通じるのだが、私に言わせれば、国が支援するのだったら売れたものを支援するのではなく、売れるものを作り出す支援をしろよということだ。我が国の上の方の人々は、様々な分野で同じ失敗を繰り返している。というか、同じ戦略しか持ち合わせずに、失敗から何も学ばずに同じ轍を何度も踏もうとしているようにしか見えない。
という以前に「多様性」という言葉の意味を考えてほしい。多様だからこそ、どんな環境の変化にも対応できる。ある生物は適応できずに滅んだとしても、別の生物はその環境に適応して子孫を残すことが多様性の本質であろう。その環境に最も適した大勢を占める生物種しか存在しなかったとしたら、次に起こり得る未知の環境変化に対応できるはずはない。こう考えたら容易に理解できることではないだろうか。いまの競争的資金のありようは多様性を狭めることにしか役立っていないと感じるし、現在の日本の研究が国際社会から遅れをとっている大きな原因のひとつはこの辺りにあるのではないだろうか。