日本の科学が衰退する原因は? 1/3

仰々しいタイトルをつけたが、あくまでも個人的に感じることを書き連ねるだけです。

21世紀に入ってから自然科学でノーベル賞を受賞している日本人は多い。しかし、全てを理解しているわけではないが、知る限りほとんど全ての受賞者はかなり若い頃(過去)の業績を認められての受賞である。そして、近年は日本の研究が衰退の一途を辿っているとニュースでも報道されている。その理由は何か?大きな理由の一つに国が推し進めている「選択と集中」があるとはよく言われることだ。「選択と集中」とは、経済学の専門家に言わせれば「それは、もう二進も三進もいかなくなった会社が背水の陣を敷き、一か八か最後の手段として行なうもので、健全な企業ならば、無駄かもしれない複数の可能性に同時に投資するべきだ」とのこと。これはある意味では上の「多様性」につながる話でもある。「選択と集中」は「多様性の消失」と同義であり、選択肢に広がりや深みあるいは豊かさが育つ土壌にはなりえない。時の権力にいる人が浅はかな知識をもとに何かを選択してそこに資金を集中する。浅はかと書いたのは、特定の誰かが浅はかという意味ではない。科学とは、まだ見ぬ地平を目指すものであり、そこに至る道筋など誰も知りようがない。だからこそその時の常識にとらわれず、さまざまな試みを行なって次の道を探る必要がある。今の常識を持っている人が正しいということは決してない世界なのだ。だから、特定の分野を「選択」する力など誰も持っているはずがない。誰かの意思で選択するということはそこに恣意性が入ってくる。それがまずいのだ。昔は良くも悪くも大学の各講座には最低限の研究資金が入ってきた。だから、大規模な研究はできなくても、ほそぼそと自分の思う研究を進めることができた。それが今は、講座予算は削られ競争的資金にまわることとなった。競争とは耳障りの良い言葉なのだが、結局は誰かがその人の価値観で選択することに相違ない。だからアイデアの範囲が制限される。また応募する側も「うまくいったら面白いが、どうなるものがわからない」ようなテーマは選択されないから選択されそうなテーマに偏る。目先のデータが出そうなテーマに偏ってくるのだ。要は、既知の概念の中で未知の世界を探索している。これが問題だというのはまさにその通りだと思う。

(続きます)