シニフィアンとシニフィエ その1
新しい概念に触れるときに聞き馴染みのない単語に出会う。聞き馴染みがないのだから、その意味がわからない。もちろんその単語が登場する文章の中にもその意味は説明されているし、辞書や解説書、今だったらネットに当たってその意味を調べることはできるのだが、その「額面」は理解できたにしても、やはり概念というのかその本質的な「意味」はなかなか掴めない。
「両生類の原腸形成に関する新しいモデル」を提唱するときに私はACEという単語(概念)を作った。別に新しい単語を作って喜んでいるわけではないし、この単語が世界中で使われて欲しいわけでもない。もっといえば、別にACEでなくたって構わない。ただ、新しい概念が文中に何度も登場するときに、毎回その概念を説明することが難しいので、一度ていねいに説明したその概念を象徴する単語を作成することで、その概念を代表してもらうことによって、文章を読みやすくさせたのである(実際には「書きやすく」したのだが)。
さて、標題の言葉も同様に、何度説明されても文中に出てきたときには毎回混乱する。その理由は、理屈ではその言葉の表の意味は理解しているものの、本質的な概念が捉えられていないからである。だから、いつもの話になるが、その単語が使われる複数の文章からその意味を会得するしか方法はない。ターヘル・アナトミアの翻訳と同じことである。無茶な話に聞こえるかもしれないが、なにも書き言葉に限ったことではなく話し言葉であってもかまわないので、その単語が使われている文章に何度も出会って、その言葉が表現している本質を捉えるより他に方法はない。
(つづきます)