原因か?結果か?

科学者に一般論化できるのかわからないのだが、因果について「一般の人たち」とはちょっと違うのかな?と感じることが、私には、ある。いろいろとあるのだが、ひとつ例を書いてみよう。

夜間に晴天だと放射冷却によって翌朝の気温が低下する。この話題の時に、「夜間晴天の時は翌朝寒くなる」は私はダメだ。論理展開が気持ちわるい。ではどういった論理を好むのかだが、「気温低下」が結果としてあって初めて、その原因が「夜間晴天だったから」がいい。同じように聞こえるかもしれないが、その時の気圧配置に加え、風向きや風の強さなどで夜間晴天であっても気温が下がらないことはある。だから、「気温が下がった」という事実があり、その夜が晴天だった時に、気温低下の原因のひとつとして「放射冷却」が挙げられるに過ぎないと私は考える傾向にあるのだ。

科学、特に生物学のような学問を研究していると、「こうだからこうなるはず」が通じない場合がよくある。だから、結果が出た後に、その原因を推測できるが、原因から結果を言い当てることは八卦見と変わらない。これは政治でも国際情勢でも経済でも社会一般でも同じで、ある結果が生じた後でその原因を推察することはできるし、それはかなり確からしいこともあるのだが、では最初からその理屈で結果を言い当てられる人がどれだけいるだろう。当たるか当たらないかはくじ引きのようなものでしかない、と私は思っているし、科学でもそれは同じではないかと考えている。だから、「こうだからこうなんです」という説明をする人は胡散臭いと感じている。

で、あくまでも私が感じる「一般の人」だが、特に科学は論理的に全てを説明できると信じているのではないだろうか。さらに言えば、「こうだからこうなんです」と言い切れる人の方が一般的には「信頼できる人」であるとみなされるのではないか。私なら、自信を持って言い切る人のことは信用しない。この辺りが科学者と「一般の人たち」との違いかなと思っている。ただ、科学者にも「言い切る」タイプの人はたくさんいて、そういう人がよくテレビ番組などで重宝されているように思うのだが、私はこういう人を「似非科学者」だと思っている。