読み方
状況の読み方って人によって異なるのは間違いないのだが、それでも「えっ」と思うことがたまにある。最近もいくつか、「あれ、そうだっけ?」と感じることがあったので少し書いてみたい。
ひとつはワールドシリーズでの大谷さんにまつわる話。トロントでの第二戦で大谷さんが打席に入った時、観客から一斉に”We don’t need you!”という掛け声(大谷さんは「チャント」と言っていた)が湧き上がった。ある意味、いじめのようにも感じられたのだが、まあスーパースターならではの出来事なのだろう。この掛け声を聞いて私はある種の「負け惜しみ」のように感じた。2年前、エンジェルスからフリーエージェントになった大谷さんの移籍先が「ほとんどトロントで決まり」という確信に満ちた報道がなされたのだが、結果的にドジャースになったのは周知の事実である。「大谷さんがきてくれる」と信じきっていたトロントのファンが「裏切られた」と思うのは想像に難くない。で、今シーズントロントはワールドシリーズにまで駒を進めてきたわけで、トロントファンは「お前(大谷さん)なんかいなくたって世界一になれるんだ」という気持ちを称して”We don’t need you!”になったのだろうと私は感じたわけだ。多くの論評が私と同じだったのだが、あるワイドショーの司会者がまったく違う話をしていた。それは、大谷さんがあまりに凄い選手だから打席(マウンド)に立って欲しくない、だからあの掛け声になったという理解だった。他の出演者がやんわりと、「いやそうではなく、過去のトレード話があって云々」と言ったのだが、その司会者はそれを理解することなく、「大谷さんが打者としては打てないし、投手としては打たれるのだったら、敵としてこれほど嬉しいことはないから、その場合には”We need you!”となるだろう」とさらに解説を加えていた。これはまったく正反対の感じ方だと思う。本当に理由はトロントのファンに聞かないとわからないのだが、こういう考え方に衝撃を受けた。この状況でこう考えるという思考回路が私にはなかったためだ。
もうひとつ、公明党が与党から離脱した後の話である。さまざまな世論調査で公明党の離脱について「よかった」が7割を超えていたようだが、これは「公明党が離脱した結果として自民党の足枷がなくなったこと」を世間は評価したのだと私は思ったし、世の論評も同じだったと思う。しかし公明党は、「公明党の離脱を世間は支持した」と捉えた。いや、それは文字どおりそうなのだが、世間の評価は公明党に対する評価ではなく現与党に対する好印象だったと私は思っているのに、公明党の説明によれば世間は公明党(の判断)に対して高い評価をつけているとされている。感覚的には真逆の感じ方だ。
同じ状況を見ても感じ方がここまで異なると感じた直近の例をあげてみた。皆さんの感覚はいかがだろう?