文章のタネ
「才能と努力」であったり「共通性について」であったり、「勉強法」であったり「言語の話」であったり、「因・縁・果とはなにか?」であったり、さらには「憲法第9条」であったりについていろいろと書いてきているのだが、この辺りの議論になるとさまざまな考え方があって、「個人の意見」としてなかなか表に出しにくいものがある。「これが正しい」と主張するものではなく、「私はこう考えている」「私の意見はこうだが、他の意見が存在することも理解している」のだが、そういう書き方をすれば言い訳っぽくなってしまい読み物としては耐えられない文章となるので、あえて言い切って書かざるを得ない。最終的には「脳がどう認識するか」がすべてだと思っているので、個々人の認識に手を入れられるわけでもなく、かなり書き上がっているのに公開できないものも少なくない(というか、そこそこな数が溜まっている)。
本を読んでは思ったことをメモする。キーワードを書き留める。違う本を読んだり、まったく違う方向の思索をしている時に、昔のメモに繋がることがあって、そこからその議論を文章として展開させる。それがブログの元となる。だから、至る所にネタは散りばめられているのだが、ネタの所在は分野や専門領域がバラバラなところにあるので、私の書く文章の内容は橋本オリジナルだと思っている。ただ、同じような思想はこの世のどこかには存在するのだろうから、完全オリジナルだとはもちろん思ってはいない。で、宗教の本を読み、社会思想の歴史を読み、古事記を読み、生物の進化を考えることで、憲法って結局こういうもの(こと)なんではないかと感じる時がある。各々の分野の専門ではあり得ないので、一つ一つの認識は極めて幼稚であり怪しいのだが、それらの内容を幼稚な理に解釈し、到底関係していない考え方と混ぜ合わせることで、今まで悩んできたことに新しい解釈ができるというか、悩んで止まっていた思考が違う方向に動き出す。何も本だけに限らない。映画を見ている時でも何かを考えている。映画の一つのセリフから考えがはじまることもある。漠然と「まとまったような気がする」ものでも文章に表現するとまったく何も書けないことはしょっちゅうあるし(これは作文技術の問題よりもはるか以前の問題であり、わかった気になっていたのだが、論理的にまったくまとまっていなかったということ)、自分ではまとまっているつもりであっても日本語作文力の拙さで文章にできないこともある。
過去にも、ふと思ったことがあって、過去の書きかけの文章の中から探し出して、新しい考え方を取り入れてなんとかまとまったものもあるので、いつかはどこかで公開できるものもあるとは思うのだが、いまはとにかくタネばかりが溜まっていって収拾がつかなくなってきている。