脳 その1

生まれた瞬間は脳の中のすべての神経細胞が互いにネットワークを作っていて、だから互いに干渉して全体としての整合性が取れない。生まれ落ちた瞬間から、さまざまな外的刺激がもたらされ、使われないことによって不要だと判断された神経回路が淘汰されることで、淘汰されたその神経が干渉していた神経回路が正常に動き始めるというような具合である。腕を伸ばす筋肉と曲げる筋肉が同時に働いていると結果的に腕は動かないが、どちらかが働くなったら腕が動くという感じのことだ。極端な例えになるが、生まれた瞬間はすべての言語に対応できるあらゆる神経回路を持っていたのだが、日本語の環境下において、日本語で使用される神経回路以外のネットワークが排除されて、日本語が話せるように(外国語が話せなく)なるということだ。極論すれば、このあらゆることに対応できる神経のネットワークがチョムスキーの言う「普遍文法」の概念に相当するのかもしれないとすら思っている(あくまでも概念的な話に過ぎないが)。言語だけではなく、生まれたての赤ちゃんは実際には何もできない。歩くことはおろか、ハイハイどころか寝返りすらも打てないし、なにより自分自身の力で栄養をとる(乳を飲む)ことすらもできない。これも、普通にはこれらの作業をするための神経ネットワークが構築されておらず、それはこれから学習によって習得していくものだと考えるのだが、私の考え方に従うと、すべての運動をする能力は脳の中に構築されているのだが、それが他の神経ネットワークによって制限されているからであるとする。だから、その制限を解除する過程が「学習」であるとなる。

(つづきます)