人として
兵庫県知事の人間性に関する言及はネット上に溢れている。先日の百条委員会での発言にしてもツッコミどころ満載だ。そこで、個人的に気になった点についてかく(かなり食傷気味で、生理的に受け付けなくなっているので、この件に関してはあまり触れたくないのが正直な気持ちなのだが)。
細かいことを言えば発言ごとに突っ込みたくなるが、ここでは二点だけにとどめておこう。まず一点目は、「不快に思った方がいらっしゃっとしたら」という文言である。ここにこの人の人間性が表れている。奇しくもこれについては過去に書いたのでそちらをご覧いただきたい。何にしても、悪いことをしたとは微塵も思っていないし、謝罪する気など全くないことがこの発言から見て取れる。二点目は、「自分は完璧な人間ではない」として、自分が忘れていたことを自己弁護し、「自分はそのときに忘れていたのだから、(結果的にはおかしかったにせよ)その時の発言はその時点では合理的だった」と、もはや論理的にも無茶苦茶というか、詭弁にすらならない小学校低学年の子供のような屁理屈を弄する。「知事は忙しい」として、自分が普段から約束に遅れることを「仕方ない」とする。しかし、結果的に少しでも遅れそうになることがあれば激怒し部下を叱責するとアンケートから窺い知れるということで、二重標準というか、「知事(自分)は特別であるので何をしても構わないが庶民は完璧でなければならない」と、口では言わずとも行動で示している。この辺りにもこの人の人間性が垣間見える・・・いや違うな、垣間見えるというレベルではなく、「俺はバカですよ」と旗を振って歩いているようにかんじる。
もう一つ付け加えておくと、ひとつひとつのことに対しては何らかの言い訳ができるだろう。結局は「水掛け論」にしかならないことだから、「知らない」「言ってない」「していない」と言えば第三者にはその真偽を判断する術はない。しかし、ひとつひとつは水掛け論であっても、これだけ様々な事案で、ほとんど同じとしか見えないような知事の言動が証言されると、それは「日常的にやっていたんだろうな」と思わせる。あなたの周囲の人にもいたと思うが、人が離れていく人は、個別事案はそれぞれに理由もあって、どちらが悪いとか言えない場合も多いだろうが、結果的に周囲の人が離れていくとしたら、それは周囲の人ではなくその人に問題があると考えてほぼ間違いはない。皆が口を揃えてその人の言動について指摘するのであれば、証拠はなくてもそれはほぼ正しいと考えていいはずだ。「記憶にない」とか「指導の範囲」と言っても、ありとあらゆる場面において同様のことを行ない、それが周囲から「パワハラ」と見られているのであれば、それはパワハラと認識されて然るべきだろう。
世間では「知事になる器ではなかった」と言われているようだが、「知事として」ではなく「人として」かなりの問題を抱えているように見えて仕方ない。
(私にとって「天に唾吐く」文章になってしまったかもしれないな)