原腸形成運動
「人生で最も重要な時は誕生でも結婚でも死でもなく原腸形成だ!」とウォルパートは表現した。
ところで、原腸形成過程とはひとことで説明するとどういう過程であろうか?
試験に「次の語句を簡潔に説明せよ」という問題が出たときの答えとしてどう書くのか?である。
これは「中胚葉を形成する過程」と答えるのが正しい。
決して「原腸を作る過程」ではない。
もちろん両生類では原腸形成過程に原腸が作られる。
しかし、ニワトリでは原腸形成過程の前に「原腸」は存在する。
歴史的にみて両生類の研究が早くから始められ、
またその理解も深かったために原腸形成と名付けられただけのことである。
さて、ヘッケルは脊椎動物の初期を比較して
咽頭胚と呼ばれる時期の胚のかたちが非常に似ていることに気付いた。
卵の大きさも卵割の様子もバラバラで、
咽頭胚以降の発生の様子もそれぞれまったく異なるのに
咽頭胚の形状だけが脊椎動物の種を超えて非常に良く似ているというのである。
これは「発生の砂時計モデル」として現代の私たちに馴染みのあることであろう。
原腸形成過程がなぜ重要なのかと私なりの答えを探してみれば
咽頭胚のかたちを作る過程だからという答えを思いつく。
咽頭胚のかたちが似ているということは咽頭胚を作り上げる過程に共通性があると考えられよう。
それが原腸形成過程なのだと私は思うのである。
さて、話しは少し横道にずれる。
ツメガエルの咽頭胚をみて、本当にヘッケルのいうように見えるだろうか?
イモリなら分かる!しかし相手はツメガエルである。
私は「まったく似ていない!!」と本当に思う。
しかし、これは原腸形成過程に起こる形態形成運動で説明できると考えている。
イモリとツメガエルの原腸形成運動自体の違い(分子は原則共通だろうが)を見ると
ツメガエルの咽頭胚の「変なかたち」を正面から説明できると考える。
実はこれだけではなく、シュペーマンの移植実験により得られた二次胚の形態も
イモリとツメガエルではかなり異なるのだが(誰も指摘しないのが不思議で仕方ない)
これも、原腸形成運動によって全て説明がつくと思っている。
尾部オーガナイザーは、分子の問題ではなく形態形成運動の問題で片付くと思う。
このような書き方をすると何か宗教的な感じがする。
全てを説明できるのは宗教であって、
科学には反証可能性がなければならないとポパーも言っている。
だから、これからひとつひとつ実験によって確かめていかねばならない。
ツメガエルを用いた分子発生学の論文を読むと
その多くのイントロに古い実験発生学から生じた疑問が書かれている。
そして、その古き良き疑問点をツメガエルによって証明したとなる。
でも、そもそもツメガエルとイモリでは何もかもが異なっているのだから
イモリでの疑問点をツメガエルで実証できるはずがない。
また、分子も胚の正しい時期に正しい場所にいて初めて正しく働くのだから、
形態形成運動をしっかり見つめること無しに分子を見ても何も分からないと思う。
分子生物学ではなく、こんな泥臭い発生学も面白いと思いませんか?
ヘッケルはレムリア大陸の提唱者だそうです・・・。
今回のコラムを読んで、分子発生学の人たちは、分子という手法でもってヘッケルが提示した「原腸形成のかたち」の構成要素を分析しているような印象を受けました。でももしそうだとしたら、ヘッケルの思考の域を出ないような気がしてしまうのですが…。
また原腸形成に見られる「様々な運動」ではなく、それに関わる「共通の物質」に注目したり、イモリとカエルとの違いがなかなか見出せなかったりする背景には、「普遍性は多様性からではなく類似性(共通性)から見出せる」という発想から来ているのかなと感じました。
個人的には従来の思考の枠組みで何かを分析するよりも、目の前の現象を虚心坦懐に観察して「新しい認識のかたち」を模索して行く方が面白いと思うのですが、言うは易しですよね。
ps. 桜が本当にきれいですね。
「普遍性は多様性からではなく類似性(共通性)から見出せる」という発想・・・これは、多くの発生学者が陥っている罠だと感じています。だから、イモリとツメガエルを研究しようと考えたのですよ。近い親戚なのになんだかぜんぜん違う、でも遠い親戚(脊椎動物)のところどころがそれぞれに似ているってことです。言うは易しですが、言わなければ始まらないというのも事実でしょう。あとはそれを実証できるのか?ってことです。
こんな発生学に興味を持つ若い人って出て来ないのかなあ???