「かたちまつり・ミニ」はいよいよ明日です!

明日も寒いようですが雨は降りそうにありませんね。

家の暖房費の節約のために暖かい生命誌研究館へと足をお運びください。

 

明日のお話は、内容的には難解ではありません。

しかし、なんと言っても発生学なので

サカナやカエル、トリにネズミの受精卵が

細胞分裂を繰り返してその形を変えていく様子が頭に描けないと困ります。

一所懸命にご説明致すつもりではありますが、

いかんせん、自分自身がニワトリやネズミの原腸形成を理解するのに時間がかかったので、

橋本の下手な説明でどれだけご理解いただけるのか不安です。

この点は会場からの質疑応答や議論の過程で理解が深まれば良いかなと

半ば他力本願を決め込もうかとも考えています。

もちろん努力は精一杯致しますが・・・・・。

 

で、違った見所をひとつ。

ひとことで研究者と言ってもそれぞれが持つ価値観は様々です。

データを科学的に分析したら答えはひとつ!なんてエレガントなことはあまりありません。

だから、どこを注目するかによって研究者の個性が出ます。

比較発生学なんて、単純に比較して似てる似てないを言うだけのように思えるでしょうが、

どの視点でどこを比較するかでまったく違った結論が生じる可能性があります。

というか、比較するにもどこかに物差しをおかなければならないのですが、

この物差しが研究者により違うことがままあります。

たとえば初期原腸胚を原口が出た瞬間と決めてそこを基準にものを見る人と、

初期原腸胚自体が種によってまったく異なっているので

原口の出現を基準にしても意味がないと考える人では

その結論は異なってしかるべきです。

あるいは、ある発生段階での形態を比較し、次の発生段階での形態を比較する、

この思考方法を繰り返して議論を進める人と、

ある発生段階から次の発生段階への運動様式の違いを比較する人とでは

導きだされる結論に違いがあって当然でしょう。

「かたち論」的に言えば視覚的に議論を進めるか聴覚的に議論を進めるかの違いです。

この視点の違いを楽しむというのはひとつの面白い点だとは思います。

ただ、誤解していただきたくないのは、

どちらが優れているという二項対立的な議論ではなく、

どちらの切り口にしても、その視点において何か正しいことを言っているということで、

両方の話を聞き、己の脳で咀嚼し脱構築して再構築すると

違った何かが見えるかもしれないということです。

この集まりは結論を出す目的でもなければ解説をすることが目的でもありません。

思考する楽しみを共有しようということがすべてなのです。

分からなければ帰宅してゆっくり考え直せば良いし、

それで新たな疑問が生じればまた集まって議論をすれば良い。

そのひとつのきっかけとしての時間になれば良いなあと思っているのです。

 

では、参加希望の皆様、明日の午後にお目にかかりましょう。