「真逆」とか「なさすぎる」って言葉の感覚は日本人独特のものではなかろうか?
「逆」だけでその意味は足る。
「ない」で全く問題はない。
それにさらに強調しても、
たとえば量的な何かを表すことばであればそれを強調もできようが、
「逆」とか「ない」という状態を表す言葉はそれ以上強調できない。
それを強調するという感覚が英語にできるのだろうか?
ちょっと興味がある。
生命科学の元研究者である橋本主税(=はしもち)があれこれ妄想を語るサイトです。