無常
日本は遅れているなどと語る評論家を頻繁に見る。
あるいは「憲法9条は世界より何周も先を行っている」と語る人もいる。
個別の議論について、個人的な意見は当然あるのだが、
まあここで議論するつもりなどまったくない。
何を言いたいのか、それはこれまでにも何度か書いてきたことなのだが、
「遅れている」「進んでいる」という考え方についてである。
ほんの少し前、プーチンが前回大統領だった時のロシアは経済的にも発展していた。
しかし、いまはシェールガス革命なのの影響もあるのだろう、
経済的に困窮してきていると報道されている。
もっとさかのぼれば我が日本である。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という書籍が著されたように
日本の栄華は永遠に続くとさえ思われていたそうだ。
もっともっとさかのぼって「奢る平氏は久しからず」である。
すなわち、その時代の最も発展している、
あるいはその時代を支配している体制や制度を先端とする考え方は
そもそもが通じないのではなかろうかと私は思っている。
栄華・発展などという指標はすべからく相対的である。
他の事情が変わればその他あらゆるものの意味や価値は変化せざるを得ない。
何かの意味を絶対的な揺るぎない価値とする見方に立つ以上、
早い遅いとか優劣とかの物差しをあげたくなる。
例えば変化が直線的であったなら物差しも当てられようが、
過去の歴史を直感的に見ても「歴史は繰り返す」のだろう。
その時代にそぐわない考え方というのはある。
でも、それが絶対的だと考えることは危険なのだと思う。
単に同時代にたまたま存在する種々の環境に鑑みて
たまたま優位に立っているというだけに過ぎないのだろう。
今朝の新聞に「スェーデンで連夜の暴動」とあった。
福祉が充実しこの世の楽園と一部からはもてはやされている国においてすら、
失業問題で若者は暴れるのだ。
たしかにスェーデンの一部の福祉制度は理想的なのかもしれないが、
その他がまったく違う体制の国にその制度だけを移植しても動くはずはないと思う。
どこかを手厚くすればどこかが手薄になる。
そんなのは当たり前のことだろうと思う。
評論家の先生方はこの必然的問題を種に飯を食っているだけのようにすら感じる。
どんな政権運営をしても光の部分と陰の部分は必ず生じる。
すべてがハッピーってことはまああり得ない。
だから評論家や野党はこの陰の部分ばかりを取り上げていい気になっているようにみえる。
もっと相対的な視点からの必然について見いだす努力をしたらどうだろう?
そしていったん信頼したら一定期間は欠点をあげつらうことはやめたらどうだろう。
どんな政策だって、光も陰もあろうし遅れて見える部分も進んで見える部分もある。
遅れて見えていたことが時を経て「最先端」になることだってまったく珍しいことではない。