ゲノムとゲシュタルト

形の収斂でも書きましたが、

ゲノムがゲノムとして成立する時に必然的に持つであろうゲシュタルトが

生きもののかたちとして具現化すると大まかには思っていますので、

ゲノム=情報という図式がまったく受け入れられないのです。

極論すればDNA配列に与えられたゲシュタルト(意味)が作る形態を

自然淘汰という砥石が洗練するって感じでしょうか。

このニュアンスがあるからこそ、ゲシュタルトを「形態」と訳するわけで、

ゲシュタルトを単なる形としてしまうと議論は終わっちゃう。

まあ、そんな感じでゲノムを考えています。

もちろん、これはものすごい極論なのであって、

もっともっと各論を議論して行かねばならないと思いますが、

なんにしても、DNAに与えられたゲシュタルトこそが

ゲノムに秘められた解き明かすべき正体なのだろうと思うのです。

で、このゲシュタルトと同じ概念を西川先生は情報というのだろうと現時点では思っています。

なぜなら、情報という言葉以外はすんなりと入ってくるからです。

 

で、ここまでをふまえてのお決まりのやり取りがありました。

「西川先生,結局のところ情報ってゲシュタルトのことなんでしょう?」

「いや、橋本くん、それは違うで。情報は形じゃない」

「・・・・・・・」

笑いどころはお分かりですよね?