文体
私だけかも知れませんが文体って言葉はよく耳にしますし
私自身もたまに使う言葉のひとつでもあります。
で、文体って何?と考えると・・・・分からない・・・・。
ただ、その人に特徴的な文章ってのが分かるというのか、
どこがどう違うのか分からないのだけれど、
苦手な文章や読みやすい文章があります。
で、読みにくい文章のあら探しをしたとしても、
どこがどうおかしいのか分からない、
というよりも、どこもおかしいとは感じないのです。
単純なところでは読点の多さ少なさってのはあるでしょう。
もちろんあってはいけない場所に読点があったり
なくてはならない場所に読点がなかったりすれば、
日本語として意味をとれないので問題ですが、
文章としてはあってもなくてもよい読点ってのもあるし、
あるいは文章(単語)の並びで読点を多くしたり少なくしたりできるから、
この辺りが文章のリズムにも繋がって好みが別れるのかも知れません。
もう一つ考えられるのは漢字とひらがなの比率。
個人的には漢字を使いすぎるのは好きではないので
どちらかと言えばひらがなを多く使う文章を好みますが、
でも、漢字にしてもひらがなにしても連続すれば読みづらい。
だから、同じ文章中の同じ言葉であっても
前後に並ぶ単語によって平仮名で表記したり漢字で表記したりと使い分けします。
この辺りは文章の問題というよりは視覚的な好みの問題になるのかも知れません。
もう一つパッと思いつくのは送り仮名の話です。
これはこれまでにも書き連ねてきましたが、
送り仮名には決まりはありませんから、
最終的には書き手の好みで書かれて問題ないということになります。
しかし、好みの問題というのなら私は「送り過ぎ」を好みます。
何度も書いた例ですが、「おこなう」は「行なう」と表記してほしいのです。
「行う」でも読めますが、「行った」では「おこなった」か「いった」か分かりません。
だからこそ、読みやすくするためにも他との誤解を極力回避できる方を選んでほしい。
と書いてきましたが、実はこれらをすべて満足させても
どうしても苦手な文章、読み進めることのできない文章はあります。
思想的にあわない文章はもちろん読むに耐えませんが、
そういう問題ではなく、たとえば単純なミステリ小説であっても
どうしても苦手な作家はいるのです。
たぶんリズムが合わなかったりするのでしょうか。
紋切り型だったり、体言止めを多用したりと、
気っぷのいい(ように感じさせる)文章は苦手かもしれない。
でも、丁寧に書かれている文章であっても苦手なのがあります。
これはもうなぜなのか理由が分からない。
本田勝一の言うところの「文章が笑っている」って分析が
私の気持ちには一番合うような気もしますが
こんな表現は何も表現していないのと変わらない。
もう「相性」としか言えませんね。
で、たぶん「橋本の文章」はお読みになったらよくわかるでしょう。
本人は決して好きな文章ではありませんが、
私はこんな文章しかかけません。
こんな文章を書いていながら他人の文章を「苦手だ」などという神経は
皆さんがご覧になったらかなり図太いとお感じでしょうね。
精進します(できるのだろうか???)。
蛇足ですが、ミステリなどでは特にですが、
文体ではなくトリックやプロットに納得ができなくて読み進められないものはあります。
ある意味ではそちらの方が作家としては命取りのような気もしますよね。