ゲシュタルト崩壊と意味 その2
昨日のコラムで「生」の意味について考えた。
ちょっと気になったので別の言葉でも考えてみる。
「おなか」と「せなか」、語呂は似ているのに漢字で書くと「お腹」と「背中」になる。
おなかは「御中」とも書くそうだが、
どちらにしても「お」は丁寧語の「お」である。
これに対して背はまさに「背」である。
語呂は似てるのになんか全く違う。
では背中とは何か?
「背の中心線」のような意味がもともと存在するそうだ。
「背」の「中」である。
だから、「背側」という意味の背では本来はない。
では、「おなか」とはなんだろう?
調べてみると「せなか」の「中」は平面的な真ん中に対して
「おなか」の「中」は立体的な中央部分であるような感じだ。
すなわち「おなかが痛い」という意味でのおなかである。
体の中心部分、すなわち臓物が詰まっている部分のことで、
背に対する腹という意味はもともとないみたいだ。
ということは、うつぶせになる時に「腹を下に」というのは、
腹側を下にというよりは、臓物(のある部分)を下につけるって感じなのだろうか?
なんにせよ、腹側という言い方でなければ背腹の腹という意味合いは出て来ない。
ということを考えて「背に腹は代えられない」の意味を調べると、
「五臓六腑(ろっぷ)のおさまる腹は、背と交換できないの意」とあった。
なるほど、何となく分かってきたような気がする。
ということは、英語のdorsal-ventralに対する日本語はそもそもは存在しないってことのようだ。
じゃあ、英語を母国語とする人たちは背側ー腹側という概念を明確に持っているのか?
では、日本語の腹に相当するのはvisceralくらいの言葉なのだろうか?
いや、むしろ「御中」に相当する英語を探せば “The Center” くらいになるのではないか?
それくらい,日本語の背・腹と英語のdorsal/ventralは違う感覚(概念)ってことだろう。
まあ、これらはことば遊びだが、おそらく当たり前の概念ですら、
話す言語によって切り取り方は違うということで、
もちろんその言語にない概念はその言語で考える限りは理解できない。
だから、たとえば日本語での腹切りの意味は
「腹」が臓物など体の中心という感覚を持たない限り理解できないだろうし、
「首」って言葉が頭部を表すことは、もはやneckとheadの関係ってのを越えて
日本語の「首」の感覚を知らない限り丸覚えしてもどうしようもないような気もする。
もう言葉を分析し始めるとあちこちでゲシュタルト崩壊が見られているなあ。
やはり分析・分解すればゲシュタルト崩壊するんだよ。