印鑑
昔の日本は印鑑がないと何もできない国だった。
基本的にはいまも同じだろうとは思うが、
それでもかなり印鑑の必要性は低下してきたように思う。
宅配便や郵便の受け取りは署名で問題ないし、
以前は絶対不可だった「シャチハタ」も許容されることが多くなったように思う。
国際交流が増えたことがこの原因かもしれないとも感じる。
外国人に印鑑を持たせるということがなかなか難しいからだ。
そういえば京大のときフェリックス=グリュンというドイツ人が近くにいた。
彼は印鑑を持っていた。
もちろん三文判など売っていないから自分で作ったそうだ。
その文字が「緑猫」だった。
理由は、フェリックスというアニメのキャラクターがいて、
それが猫だということがひとつ、
そしてグリュンとはドイツ語の緑色を指すことから緑猫となったそうである。
よく、アインシュタインは「一石」さんだといわれるが、
それと同じ思考経路をたどったのだろう。
もう一つおもしろい(私は瞬間的に爆笑してしまった)例がある。
グレゴリー=コトルズというアメリカ人が隣の研究室にいたのだが、
彼はなんと三文判で自分の印鑑を持っていた。
どういう文字が彫られているか想像できるだろうか?
なんと「加藤」だったのだ。
たしかにローマ字読みすればコトルズになるのだが、
発音は「カトーズ」に近いわけで、
加藤の印鑑はあながち間違ってはいないというか、
まさに「ユーモア」と「ウィット」に富んだ発想だと感心した。
と考えていたら、ふと疑問が生じてきた。
印鑑に彫られている文字ってどこまで変化が認められるのか?
印鑑は「本人証明」だから,本人が証明されなければならないし、
逆に言えば、本人が証明できればそれで必要十分だとなるはずである。
コトルズが加藤でいけるなら、音が一緒であれば構わないということになり、
ということは私が「橋下」や「橋元」って印鑑を使ってもいいのでは?と思ってしまう。
もっと言えば、「山本」だって「鈴木」だって構わないかもしれない。
橋本が、銀行の届出印に「山本」の印鑑を使っているって誰も想像できないから、
逆にこれはすごく良いかもしれないと思わないだろうか?
だって、銀行の通帳と届出印って一緒に保管しないと不便だよね?
でも、一緒に保管していると泥棒さんにお金を下ろされてしまう。
こんな時に橋本の通帳と一緒に「山本」の印鑑が保管されていたとしたらどうだろう?
泥棒さんは絶対にこれが登録印だとは思わないのではないだろうか?
もし可能なら一度やってみたいなあと思うことのひとつである。
銀行はどういう対応をしてくれるのかな?