現存する生きものが意味するもの1
生きもののかたちを作る仕組みを考える上で1つ大切なことがあります。
それは、遺伝子の変異は容易に入りうることです。
我々のDNAには絶えず変異が導入され、細胞のなかでそれを修復し続けています。
変異の元は、活性酸素のような化学的反応性の高い物質であったり紫外線や放射線など様々なものがあげられます。
DNAの変異を修復する能力は非常に高いのですが、
しかし、それでも一定の頻度で修復されずに変異が維持されます。
大概の変異は無害なのですが有害な変異が入ることもあります。
有害か無害かは「運・不運」で決まるとしかいえません。
生きている生物にとって有害な変異とはガンでしょう。
ガンが生じなくても生殖細胞のDNAに変異が入ればその変異は子孫に残ります。
成体が生きるのに不必要な遺伝子であっても 個体発生過程に必要な遺伝子がたくさんありますから そのような遺伝子に変異が入れば子供に影響が残ります。
DNAへの変異は蓄積されます。
だから、一度の被爆量が多い少ないということに意味はなく 今までにどれだけの被爆をしてきたかが問題となります。
これは議論されませんが、この蓄積は子孫にも及ぶはずです。
新たに誕生したらDNAの傷もリセットされるとは思えないからです。
CTという装置によって体の断面を見ることが可能になりました。
病院に行くとCTで診断されることもそれほど珍しくはないと思います。
レントゲン撮影なんてものはもはや常識のように利用されます。
しかし、定期検診で行なわれるレントゲンによっても必ず被爆をします。
だから被爆によって被る危険性よりも,
肺がんや結核などを早期に見つけられる可能性の方がはるかにメリットがあると考えて
この検診が子供のころから続けられています。
話は変わって、微量の放射線を浴びる温泉があります。
ラジウム泉やラドン泉などです。
DNAの傷は蓄積するならこれらは危険ではないのでしょうか?
面白いことに,我々の身体はほんの微量の毒物を摂取する方が より健康でいられるという実験結果が出ています。
放射線も同様で、広島の被爆地を追跡調査した結果として 爆心地から同心円を描いて白血病の発症率は下がって行きますが ある地点では周囲のどの地域よりも白血病の発症率が下がっているところがあるらしいのです。 でも、だから放射線は体に良いという議論は間違っています。
やはり,放射線は浴びない方が良いのです。
そして,その変異は確実にゲノムに蓄積して行くのです。
CTは,レントゲンの何倍もの被爆をする検査方法です。
CTによって今後数十年でガンの発症率が上昇すると欧米の医者が懸念しているくらいです。
しかし私は、そのゲノム(子孫)への影響を心配するのです。
「カンブリア爆発についての雑感」のチンパンジーとヒトとの遺伝子の入れ替えの話を読んで、「変異を取り込んでもなおその構造を保っているしなやかな関係性こそが生き物の強さなんだ」とのんきに感心していましたが、考えが甘いですよね。確かに変異がすべて無害だなんてどこにも保証はないわけですから。それにしても変異を自分色に染めてしまう一方で、たとえそれが有害であっても蓄積させていくということは、ゲノムにとって遺伝子は、自分の体系に合うかどうか、他と関係性が築けるかどうかが重要であって、有害か無害かということはそれほど問題ではないということでしょうか?
有害無害は結果論でしか判断できないことだろうと思います。生きものを考える上では全てが結果論であるというところがキモだろうと感じます。だから宮田隆博士は「進化は何でもアリだよ」というのでしょうね。
それから蛇足ですが、変異にもいくつかの階層があるでしょう。明らかにその遺伝子産物としての働きをしなくなったもの、その働きは残しているもののその他の因子と相互作用できなくなったもの,遺伝子産物自体の構造は全く変化していないのだがその遺伝子が発現する時期や場所が変化したために今まで通りには働けなくなったもの・・・。ヒトとチンパンジーの話は,遺伝子に変異が入ったことを考慮に入れていません。チンパンジーの遺伝子をそのままヒトの相同遺伝子と置き換えても,おそらくヒトゲノムはヒトゲノムのまま成立すると言いたかったのです。だから新しい種(ゲノム)の確率には新しい遺伝子が必要なのではないってことです。ただし、遺伝子というのをどう考えるかで,そのまま「蛋白質の暗号」として遺伝子を見た場合には遺伝子は変わらなくても構わないとなりますが、いつ・どこで遺伝子が発現するかの調節も含めて遺伝子としてみたら、種を変えるためには遺伝子が変わらなければならないとなります。こんなことを書くと混乱するかな?