進化の意志(蛇足)

進化の意志でのコメントについて分かりにくいとの批判?を受けての補足(蛇足)です。

この件では、赤とんぼの話や神社の雑草の話など何度か書いているので

まったく同じことの繰り返しになります。

 

ウチではツメガエルを飼っています。

ツメガエルの発生を見てるので実験に用いなかったものはそのまま育てています。

他のカエルのことは知りませんがツメガエルのオタマジャクシは草食で、

変態した後(手足が生え尻尾がなくなったころ)に肉食に変わります。

さて、変態直前のオタマジャクシは非常に大きいのですが、

変態の過程でどんどん小さくなっていき、

小ガエルになった時にはオタマジャクシの数分の一くらいの大きさになっています。

見学ツアーとかでお客様にご説明を申し上げるとき、

これくらいの時期のオタマジャクシとカエルがいたら次のような説明をします。

「カエルは肉食であるから、

変態前後で同じ大きさなら一番早く変態したカエル(オタマジャクシ)が、

他のオタマジャクシ(兄弟姉妹)たちを食べてしまう。

だから、変態した時には兄弟姉妹を絶対に食べられないくらいに小さくなっている」です。

皆さんはすごく納得して下さいます。

「生きものってすごい、進化って素晴らしい!」って感じです。

で、その説明に続いて私は、

「まあ、カエルが小さくなってなかったらその種は絶滅しているでしょうけどね」といいます。

ここが本質で、「そのように進化した」のではなく、

「そのように進化しなかったら生き残れなかった」ということです。

もちろん、体を小さくする利点はこれ以外にもあるでしょう。

逆に体が大きくなければマズいのなら他の方向の進化を遂げたでしょう。

しかしそれらはすべて結果論です。

そう進化しなければ生き残れなかっただけのこと。

私たちには合理性が見えなくても、生き残った以上は合理的であったはずで、

それが結果として方向性をもったように見えるだけのことです。

 

まあ、ツアーでは楽しんでいただくことが主眼ですので

理屈っぽくならないように気をつけています。

さりげなく話した「最も重要なところ」に気付かずにお帰りになる方がほとんどでしょうが、

それでも、とにかく大切なところは忘れずに話します。

もちろん、そこに気付いて深いご質問をいただくこともあります。

 

日常生活から見ると、どうしても「獲得形質は遺伝する」と思いがちだし、

進化には目的も方向性もありそうに感じます。

でも学問としての進化はそういう方向には考えない。

ここをもう少し突っ込んで考えてみたら、

たとえば「定向性などない!」と言い切らずに、

そう考える論理と学問の論理の間に潜む何かを考えるのも面白いかな?

などと考えたのが「進化の意志」というコラムでした。

もちろんことば遊びですが、遊びに本質が隠れていたりするかも知れませんね。