素浪人

先日、夕食をとりながら(酒を飲みながら)読書をしていました。

わたしは一人で行って本を読みながら食事(飲酒)する場所が3カ所ありますが

そのうちの一軒、新大阪駅のラーメン屋です。

小食の橋本がラーメン屋ってのが不思議に思われることはあるのですが、

注文するのは「ニラ炒め、少なくして」とか「唐揚げ二個」とかです。

決してラーメン・焼きそば・焼飯の類いは注文しません。

 

で、そこのお姉さんが「ちからさん、なに読んでるの?」と聞いてきました。

読んでいた書名は「素浪人横町」でしたが、

まずは素浪人を「なんて読むの?」と聞かれ、次にその意味を問われました。

 

そのとき、読めないのも意味を知らないのも彼女の無学・無教養のせいではなく、

単にテレビの時代劇がなくなったせいであると思いました。

だって、わたしが子供のころは毎日のように時代劇が放送され、

そこにはタイトルにも上がるくらいに素浪人という言葉が頻出し、

調べるまでもなくその言葉が使われる文脈で意味を捉えていたのです。

もし、そのような番組に出会わなかったらわたしもこの言葉を知らずにいたでしょう。

 

時代劇を放送するには時代考証が念入りになされます。

だから、時代劇を見ることで日本文化に触れるとも言えるでしょう。

日本文化に潜む暗黙の意味を知り、礼儀作法や立ち居振る舞いを学ぶでしょう。

それは本当に大切なことだとわたしには思えるのです。

素浪人という、日常では絶対に使われない言葉を知らないことに問題はありません。

でも、それを知らないということの裏には重要なことが隠れているように思います。

円周率は3でいいという教育で成長した子供たちは、

単に3.14を知らないということだけでなく、

その背景にあるもっと重要なものを知らずに育ったのだと思います。

無駄の中にこそ意味があるわけで、

中途半端な理屈で合理化された中に本質はないということでしょう。

なぜiPS細胞がノーベル賞を受賞したのか?

その発見が科学史に与えた意味とはなになのか?

なぜガードン博士と同時受賞なのか?

これらを知ることの方がiPS細胞の科学的な理屈を知るよりも、

はるかに大切なことだろうとわたしに思えて仕方ないのです。