残りうる変異

後世に残りうる変異とはどういうものなのだろうか?

それは生存に有利な変異だと一般に言われる。

この「生存」の解釈がよく間違われるように思う。

 

生存というと個体の生存のイメージが強い。

しかし、進化における生存とは子孫の残しやすさをさす。

だから、その個体が生き延びる能力を考えると誤解することがある。

もちろん個体の寿命が伸び、あらゆる苦境を乗り越えられる強さを獲得することは、

とうぜん子孫を残しやすくなることとも関連するわけだから

この解釈そのものが誤りに直結しない場合もあるのだが、

重要なのは、個体の生存にたとえ不利であっても、

子孫の残しやすさに有利に働けば、

その変異は後世へと残っていくのである(当たり前の話だが)。

だから、基本的な考え方としたら、

有利が残るというよりは相対的に不利なものが残らない、

だから結果として相対的に少しでも有利だったものが残った

と考えなければならないのだろう。

 

たとえば、キリンの首が伸びたこと自体は

もしかしたら個体の生存には不利な変異だったかもしれない。

しかし、首の長い♂キリンは♀にモテるとか、

逆に首の長い♀キリンが♂にとってチャーミングだったりとかして、

結果として首が短いキリンよりも子孫を残しやすかったとしたら、

別に長い首で餌をとりやすいとかいう無茶な説明をしなくても

よほど合理的な説明になるのである。

 

緯度の高い地域の人は背が高いことは知られている。

低い緯度に暮らす人は平均して小柄である。

これにたいしての以下の説明はどうだろうか?

「緯度が高いと地球の重力をあまり受けずに済み、

緯度が低いと大きな重力を受けるから、

結果として高緯度の人は背が高くなった」。

この説明だけなら納得できないのはご理解いただけるだろう。

というのは、この説明が正しければ、

北欧の人を赤道直下の国で育てたら小さくならなければならないからだ。

だから、この理由を元に更なる説明をしなければこの説は受け入れられない。

それはたとえば、「だから、低緯度の地では体が大きくなると体に受ける負担が大きくなり、

小さい体の人と比べて生存に不利である」といった類いのものである。

でも、これは低緯度の地で小さな者が生存に有利だったことは説明できても、

高緯度の地で小さい者に対して大きな者が有利であることを説明できない。

 

他の説明として次のようなことを考えてみよう。

「高緯度の地は気温が低く、低緯度の地では気温は高い」ことに着目し、

「体が大きければ表面積に対する体積の割合が大きくなるから体温が奪われにくいのに対し、

体が小さければ表面積に対する体積の比が小さくなるので体温を奪われやすいから、

寒い地域では体が大きい方が相対的に有利であり、

暑い地域では体の小さい方が生存に有利である」とする考え方である。

上に書いたことはすべてとっさにわたしが思いついた話なので、

論理的に瑕疵があるとは思うが、言いたいことはご理解いただけるだろう。

要するに、その変異が残る理由、その変異を持たない生きものがいなくなる理由は、

それが子々孫々に残るために相対的に有利であるか否かが問題なのである。

 

進化の議論はどうしても合目的論的な話に陥りやすい。

どうしても個体の生存を意識してしまうし、

どうしても「○○のために」という意志を持たせてしまう。

進化はあくまでも結果であり、それはきわめていい加減なものなのである。

それを宮田隆博士は「進化は何でもアリだよ」というが、

この考え方こそが重要なんだろうと思う。