トンネル崩落事故

すごいことが起こりました。

石橋を叩いて壊すくらいに慎重なわたしですらこれを想定はしない。

 

原因は今後の調査を待たねばならぬものの、

昨日の会見で経年劣化の可能性に言及がなされていました。

この可能性に言及がなされることに理解ができません。

 

以前にエキスポランドで起こったジェットコースターの事故でも思ったことですが、

「毎日点検していました」というものの、

毎日点検して異常がなければ使用を繰り返すということを続ければ

いつかは必ず事故が起こるというのは単純な理屈だと思います。

たとえば、各部品の耐用年数が規定される。

もちろんそれはギリギリの年数ではなく、

この年数までは確実に保証されるという設定であるべきだ。

その上に、でも万が一があってはならないからと日々の点検も行なう、

この姿勢ならある程度納得はできる。

もちろんこれでも事故は一定の確率では起きる可能性はあるだろうが、

その確率はきわめて低いだろうと予測することは決して無謀ではないと思う。

そして、その部品の耐用年数までに必ず交換する、

交換できないのなら全体を使用停止とする。

それが論理的に当然の展開だろう。

 

 

でも、いかに高頻度で点検していたとしても、

毎日の検査だけを繰り返すだけである限り事故は防げない。

それはどう考えて自明の理ではないのか?

何となく今日も安全に使えたから明日も大丈夫だろうって感覚は

日常的には分からないでもないのだが、

きょう点灯している電球も明日には切れるかもしれない。

毎日点検していてもそれが予測できるとは限らない、

というより、予測できる方がまれではないのか?

だから、同じ理屈で怖いのは原発であろう。

昨年の事故以来、古くて危険な原発を動かそうという風潮は影を潜めたようにも思う。

しかし、耐用年数を30年としていたものが40年になり50年になるというのは、

普通に行なわれていた話である。

で、上と同じ理屈で、これを繰り返せば必ず事故は起こる。

経年劣化なんて全体で少しずつ確実に起こっている。

古くなった機械は、どこかが壊れて修理しても、

すぐに別のところが壊れるということが繰り返される。

分かりやすい壊れ方ではなく、目に見えない壊れ方が少しずつ起こる。

これが経年劣化というものだろう。

 

以前の議論で、新しい高速を造る理由のひとつに、

古い高速は大きな地震に耐えられないからというのがあった。

これを聞いた瞬間に「議論の順番が逆だろう」と思った。

まあ、交通量の受容予測が厳しい批判を受け、

でもどうしても何らかの理由で新たな高速を造りたい人たちの方便だったのだろうが、

それにしてもこの理屈をよく口に出せたなあと思う。

もし、現在使用している高速が大きな地震に耐えられないのであれば

それの補強が急務だろうし、それも叶わないのなら使用停止が当然だろう。

それをすることなく新しい高速建築の理由に使うって感覚が理解できない。

 

最初に、さすがのわたしもこの事故は予想しないと書いた。

その理由は、エキスポランドのような一企業は、

営利主義の元、裏で緩い基準を設けたりしている可能性があるだろうが、

まさか道路や原発のような国が絡む、しかも国民の生命に直結している問題に、

このようないい加減な基準がなされるということを想定しなかったからだ。

今後は橋を渡るときも、歩道橋の下を通るときも、

「最悪」を想定して行動しなければならないのだろうか?

そんなこと現実にできるはずなどないよなあ。