研究員レクチャーが終わりました
昨日、今年度のレクチャーが終わりました。
いつもは哲学の話をするのですが 今回はカエルとイモリのお話をさせて頂きました。
アンケートを拝見すると「難しかった」とのご意見も。
あれ以上噛み砕いて話すにはどうしたら良いのだろう??などと感じながらも、
もう少し努力しなければならないと思いました。
ただ、お客様の興味は千差万別、
お客様の年齢層も、生物学への理解のレベルも様々ですから
全員にご理解頂ける内容にしたら
一部の方からは「簡単すぎる」と苦情が来るかもしれません。
難しいですね。
でも、私は話をするのが好きなので 昨日も皆様の反応を感じながら楽しめました。
次の機会もまたよろしくお願い致します。
ところで、昨日かたちについて番外でご質問を頂きました。
連絡先が分かりませんのでここに書かせて頂きます。
お読み頂けるといいのですが・・・。
かたちという言葉にはどうしても
「固く決まった輪郭をもつもの」のイメージがつきまといます。
かたちとは、要素の関係性だと理屈では分かっても、
頭にできているイメージを壊すのは難しい。
そこでいつも話が混乱するのですが、
たとえば、形式もかたちだとお考え頂いたらいかがでしょう?
鏡餅の上に橙が乗っているし、 昆布も干し柿も乗っています。
干し柿は、10個が2・6・2と串に刺さっていますよね。
「先祖代々(橙)、夫婦仲睦まじく(2と2の間に6つ)」
などと語呂合わせで言われたりするらしいのですが
これらも明確なかたちであり、
その輪郭が重要なのではなく、
それぞれの存在する関係性において意味が生じると考えられます。
テーブルマナーや行儀作法も同じことでしょう。
これなどはまさに「かたち」は見えませんが
ひとつひとつの動作に関係性があり意味が生じます。
この方向で少しだけ考えてみてください。
ではまた。
ここ何年かお正月明けの恒例行事?として楽しみにしていた先生のレクチャーですが、今年は外せない用事があり参加出来なくて残念です。
今年は研究の話だったそうで残念です。
『かたち』の哲学話は好きです。日頃『かたち』なぞ良く考えないでいるので、改めて『かたちって何だろ?』考えるといろいろ想像してます。
話は変わりますが職場にフィリピンの方が居て話をしたら、日本語は難しいそうです。漢字、ひらがな、片仮名はもちろんですが、同じ言葉で違う意味『はし』 →『橋』『箸』『端』など最初は混乱し、苦労したそうです。これも日頃何気なく使い分けてるけど、改めて考えたら面白いですね。
もちづき様は、性別もわかりませんし、
大先輩なのか同年代なのか、それとも若い方なのかも分かりません。
しかし、いつも私の稚拙な話をお聞き頂いていることは承知致しております。
どうもありがとうございます。
かたちの話は、毎度申し上げている通り
物理的な制約により既に進行できにくくなっています。
いつも常連さんばかりなら、
前回の復習を軽くしてから次の段階に入って行けますし、
新しい展開が待ち受けていると期待できます。
ある段階に入ればレクチャーではなく話し合うことで
一人一人が異なる理解をしていることを紹介し合えますよね。
しかし、毎回必ず初めて参加される方がいらっしゃいますので
その方々のためにある程度の時間を使って
かたちの哲学についてお話ししなければならない。
その時間のおかげで新しい展開に突入する余裕が全くなくなってしまうのです。
新しい方々にもかたちの哲学をご紹介したいし
既に基本をご理解頂いている方にはそこから先の展開を開いて行きたい。
痛し痒しですね。
橋本先生へ
このたびはご丁寧に「かたち」についてご教示下さりありがとうございました。確かに「かたち=固く決まった輪郭をもつもの」という前提に立っている限り、「個々の総和以上のまとまった意味や構造」はもちろんのこと、物事の全体像や本質も見えてこないんですよね。それにしてもなぜ人間の脳は、実体のないものを実体であると見なしたり、変化するものを不変なものと捉えたがるのでしょうか?頭でなく体で「かたち」が理解できるようになるには、かなり時間がかかりそうですが、焦らずじっくり考えていきたいと思っています。また先生のお話をお伺いできる日を楽しみにしています。取り急ぎお礼申し上げます。