身近な進化かな?その2

印刷工場の人たちに有意に多く胆管ガンが発症しているらしい。

同じ現象は90年代にアメリカでも報告されていたようだ。

先日「身近な変異」でも書いたが、

生きものにとっての有害物とはこれまでの進化の過程で接したことのないものだ。

それは、たとえその生物に有益であるものであっても

経験したことのない量や時間だったらそれは有害となりうる。

有害や無害っていうのはア・プリオリに成立する概念ではない。

ある環境下でゲノムが進化してきた。

その環境下で普通にさらされるものに対して弱ければ

そのゲノムが残って来られるはずはない。

だから現存する生物は自然環境に適応している。

したがって、この自然環境に普通にいる限りは基本的に無害なものにさらされている。

しかし、この環境においても普段はさらされることのない物質もある。

進化の過程で出会ったことのない物質は、

たとえ現在の自然環境下に存在するのもであっても

それに対して現存する生きものは耐性をもたないと考える方が普通だろう。

だから、焚火で普通に発生するダイオキシンが「史上最悪の有害物質」と言われるのが分からない。

逆に、どんな極端な食生活をしても普通に暮らす限り

一日にせいぜい100ミリグラム摂取できる程度のビタミンCを

サプリメントや清涼飲料で一日に何グラムも摂取することがいいのか疑問なのだ。

これは個人の健康という意味でもそうだし、

人という生物種の進化という意味でも危惧している。

 

さて、胆管ガンである。

その原因究明はおそらくこれからのことであろうが、

これは間違いなくこれまでのヒトという生物種が出会ったことのない物質によるのだろう。

それは物質自体に出会ったことがあってもそのような濃度で、

そのような長時間さらされるという意味で出会ったことのない環境だと言えるだろう。

だから、進化という意味での長い時間を考えれば、これは淘汰圧となりうる。

この環境が続いた場合に、おそらく何らかの突然変異の中には、

この物質に対して耐性をもつものが生じてくるだろう。

そして、その変異をもつゲノム(個体)は胆管ガンを発症する率が下がる訳で

したがってそのゲノムの有意に残っていくだろう。

そのゲノムにとっては、この物質の存在が「自然」となるのであって、

その「自然」の中でゲノムは磨かれ、その自然に最も適したものとなる。

 

よく「優位な変異が残される」と教科書に書かれているが、

普通の状態で優位な変異なんて新たに存在できるとは思えない。

優位な変異という表現が変なのであって、

変異が有意となる状況を考えることが重要なのだと思う。

すなわちマンチェスターの工業地帯で黒い翅の蛾が増えたのは、

近代工業による環境変化が起こったからこそである。

環境が変異したからこそ特定の変異が有意となり得たのである。

 

まあ、ゲノムをこう考えるのが理に適っていると思うのだが、

いまだこのように書かれたものをあまり見ないような気がする。

「優秀な変異が突然現れて進化した!」ってたしかにドラマチックだが、

それでは何も説明できないような気がする。

だから「多形と淘汰」ですべての生きものができるような思考が存在している。

カンブリア爆発でなぜあれほどの多様性が生まれたのか?

それは生物にとって致命的な環境変化であっただけのことだろう。

どれだけご同意いただけるのだろうね???

そう言えばヒ素で生きることのできる細胞ってNASAが発表していたな。

真偽はともかく、進化の過程でヒ素に出会っていればそれもアリだと思う。

ただし、リンの代わりでヒ素を用いるというのであれば

核酸の構造がどうなっているのかについては個人的に興味はある。

なぜならこれは生命の根幹を揺るがす変異であると思うからである。