(続)読む速度

先日この欄に書いた「古い探偵小説」と「比較的最近の推理小説」についてです。

 

前回の文章では古い方を何となく持ち上げるかたちになったようにも思います。

ただ、これは優劣の問題ではなく、

おそらく物差しが異なるのでまともに測れ(比較でき)ないのでしょう。

作者が意図したのかは別にして、

「古い」のは文章に情景がある。

おどろおどろしい空気の臭いがするし、

そこに登場する人が、その性格も含めて目の前に現れるように感じる。

そう言えば、新本格の旗手・綾辻行人がデビューしたての頃に

「人間が書けて(描けて)いない」と評価されたそうですが、

確かに、最近の推理小説で人物がまざまざと目の前に現れることは少ないように思います。

 

では、最近の推理小説作家の作文能力が劣っているのかといえば、

あながちそうではないような気もするのです。

というのは、ミステリというものに対する美学の違いという感じがするからです。

 

むかしのミステリには情景がありましたが、

それだけに物語感が強く「純粋パズル」として読みづらい感じが私にはします。

それに比べて新本格の文章は、パズルの組み立てに主眼をおいており、

それ以外の要素を切り捨てているように思えるのです。

だから、不必要な人物描写を排除し、情景を取り去ったのではないかと思うのです。

これを意図して行なったのか、結果としてそうなったのかは分かりませんが、

これはこれで優劣のつけ難い両極端ではないでしょうか?

 

で、個人的にミステリは、徹底的にパズルに徹してほしい方なので、

どちらが好みかと言えば新本格に軍配を上げますが、

でも新本格の多くは好みではありません。

それに比べると往年の探偵小説は間違いない。

まあそれは当然で、いまの時代まで残ってきているのですから

それが面白くないはずはないってことです。

この見方をすると、50年後にいまの新本格のどれが残っているのでしょうね?

「十角館」や「生ける屍」「占星術」なんかは残っているのだろうな。