平和

平和ってなんだろう?

唯一の答えはないと思う。

おかれた立場や環境によって、

あるいは宗教感や倫理観などによっても異なるのは間違いない。

自分たちの平和が他人の平和と共存できない場合もあるだろう。

だからこそ、絶対的な平和ってあり得ないし、

少なくとも自分たちにとっての平和を維持するには

努力を積み重ねていかなければならないのだろう。

それにはエネルギーがかかるのは当たり前のこと。

ア・プリオリに平和の概念が存在し、

全ての人がそれを祈念しているなんてことを考える方がどうかしている。

 

なにが言いたいのか?

日本国憲法の前文である。

そこには、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」ともある。

その諸国民や国際社会において「名誉ある地位を占めたいと思ふ」と言っている。

憲法とは、国民を縛るのではなく国家を縛る唯一の法律のはずだ。

だからこそ、国家の意思というものが明確に示されるべきだと思う。

その意味において普通に考えると、一国の憲法においては、

いかなることがあろうとも国家国民を守ることが記されていないとおかしいと感じる。

国家の平和を国際社会の正義感にゆだねる感覚を不思議に思う。

我が国の正義や我が国の平和が近隣諸国のそれと相容れない時には、

命を張ってでも我が国を我が国民を守るという気概が欲しい。

憲法については第九条が云々されることが多いと感じるのだが、

それ以前に前文で姿勢を示すことが抜け落ちていれば

第九条をいかにいじろうとも意味はない、

そんなことをふと考えてしまう。

 

自衛隊のレンジャー部隊が重装備で、もちろん武器を携行して市街地で訓練をしていた。

それは、表向きは違うことを言っていたようだが、

少なくとも市街戦を想定すれば必要な訓練だろう。

それは好戦的な思想からではなく、

危機管理として、あるいは抑止的な意味も踏まえてすべきことだと私は思う。

しかし、その訓練でさえ、識者と称する人が異を唱える。

まあ、色々な考えがあるのでそれは構わないのだが、

私は少なくとも愛する人を守りたいし、

そのために自分の命を投げ出すときもくるだろう。

福島の原発に命をかけて赴いた人たちを思い出していただきたい。

戦地に、武器を持つことも許されず自衛隊員を向かわせて平気な方々、

平和とはそういうものなのか?一度うかがってみたい。

非武装中立や無抵抗主義ってのもあるから理解はするが、

戦わないこと=平和だとする考え方には共感はできない。

 

いつもいつも繰り返し言うが、

私は自分と異なる意見を否定するつもりはない。

だから、この意見が絶対に正しいと主張するつもりもない。

ただ、個人的にはこう考えているというに過ぎない。

この点はご理解いただきたい。

まあ、橋下市長を擁護し、日本が誇る平和憲法に文句をつける私の思想は

周囲からは右翼に見られているのだろうなあ???

個人的には中道だと思っているのだが認めてもらえそうにないだろうな。