ゲノムと情報

先日の続きである。

ゲノムが単なる情報であるということに抵抗がある理由はなんなのだろう。

まずは、ゲノムそれ自体が進化するという事実があるように思う。

ただの情報ならそれは変化で構わない。

しかし、ゲノムの場合、多くの変化はゲノムとしての「情報」を消失させる。

すなわち変化によってそのゲノム(生物種)は絶滅するわけで、

後世に残りうる変化とは、その他の情報との関係性が確保されていなければならない。

この関係性は、元の関係性に準ずるものであってもよいし、

まったく新たな関係性が確立しても構わないとは思うが、

その関係性は閉じていなければならないだろう。

情報同士のつながりがそのまま放散してしまったら

それは種の絶滅につながる変異であって、もはやゲノムではないからだ。

 

もう一つは、ゲノム情報が時空間を越えて綿々と受けつなげられていくことがある。

即ち、近視眼的に見ればゲノム情報が生物のかたちを作り、

そこで自分自身を新たに作る過程があるという意味で、

周期性を持った自己完結型の体系であると見なせるかもしれない。

また、少し時間軸を伸ばして考えても、

変異の蓄積と環境の変化によって、あるいは物理的・生殖的隔離によって、

ゲノムが変化を受けてきた場合にも、

変異したゲノム自体が己を自己複製するということが必須となる。

これは単にDNA複製の問題ではない。

その変異したゲノム自体が作り上げる生きものの以前とは異なる発生過程において

子孫につながるかたちで己を複製しなければならないからである。

 

こう考えるとゲノムと生きもの・個体発生・系統発生は同一次元で考えられるべきであり、

発生というみじかい周期性を包含し、

その正確な繰り返しにより厳密に形づくられた生物種を具現化するとともに、

ゲノム自身を「語り継いでいく」語り部をも己の変化によって変えていくという事象を鑑みることのなかに

壮大な体系を見いだすしか私にはできない。

ゲノムをただの情報と切り取って構わないとは決して思えないのだ。