単語の意味とはなにか?

ある単語の意味を考える。

おそらくそれは、その単語が使われている文脈において規定されているだろう。

規定するという厳密な言い方よりも、

その文脈において矛盾を生じない程度のことだろうとも思う。

だから、ただ一つの文章においては

ある単語には複数の意味が想定されるだろう。

 

以前にも書いたが、私は「ないし」という言葉をほとんど用いたことがない。

というか、この言葉を身近で使っている人がいなかったように思う。

だから、何かの文章で「5時ないしその2〜3分後」と書かれている場合に

「ないし」を「または」という意味で捉えても何となくいいかなと思っていた。

というか、私はまさにそう捉えていたのである。

 

で、意味というのは、同じ単語が使われる複数の文章において、

その文章をすべて矛盾なく満足させ得る条件によって規定されると考えられる。

要は、一つの文章であれば間違って捉えていたとしても意味が通ることはある。

しかし、複数の文章をすべて満足させる意味となると

おそらくかなり限定的になるであろうし、

文章の数が多くなればなるほどその意味は一つに集約されることとなるだろう。

 

私は英語の論文を書く時に机の上が辞書だらけになる。

なんとなくいいたいニュアンスの言葉を和英辞典から探す。

まあ、完全にいいたいことと一致する単語は日本語であってもなかなかないので、

英語でも似たような意味合いの単語をできるだけ複数探す。

そしてその単語を英和辞典、あるいは英英辞典で引いてみる。

この場合はその単語の意味が書かれているというのには意味がない。

だから、掲載単語数を誇る辞書にはあまり興味はない。

なにを調べるのかと言えば、その単語の使われ方である。

要するに例文を徹底的に調べるのだ。

その単語の意味は文章によって決まるわけで、

私が言いたいニュアンスの使われ方をする単語を調べるわけである。

 

日本語で「注意する」といっても、

英語ではBe careful!とpay attentionではまったく意味が違うのは分かるだろう。

だから、単に辞書で「注意する」と引いてもその言葉は使えないのだ。

結局のところ、英語というかたちの中で英単語が意味を持つということであり、

英語→(翻訳)→日本語とはなり得ないということである。

これを知るだけで英語の学習には大きな力になると思うのだが、

どうもこの考え方が英語の教育に広がらないように思う。

あたかも英語と日本語の間になんらかの方程式があり、

それによって機械的にまったく同じ意味に訳することができるというような

なんとも不気味な教育が行なわれていると感じるのは私だけだろうか?