続・単語の意味とはなにか?

で、昨日の続きです。

私はこれまでに「単語カードでは単語を覚えられない」と

かたち=関係性の立場で書き続けてきました。

それと同じ話です。

 

単語の意味は文脈により決まるというのは間違いのないことです。

言い換えれば、単語自体がア・プリオリに意味を持っているということはなく、

すべては他の単語や、その文章が表す状況によって決まるというわけです。

だから、ある単語を単語カードを使って覚えようとしても、

その単語の意味を作るかたちが存在しない状況で

その単語のみを記憶に残そうとしても

それはまさに「色すなわちそれ空なり」となるでしょう。

 

また、外国語の単語に関してはもう一つの問題があります。

それは、その単語の独立した意味を日本語で覚えようとすることです。

これに関しては言語ではない話の方が分かり易いかも知れません。

例えば経済学用語の「インフレーション」を覚えようとしましょう。

国語辞典には「一般的物価水準が継続的に上昇し続ける現象」とありますが、

この意味を覚えてもこの言葉はまったく理解できません。

この言葉が示す経済状況を全体として把握しない限り

この言葉の意味をつかみ取ることはできないということです。

それには、その周辺のあらゆる現象が複雑な関係性を持って絡み合っているわけで、

それらを全体像=関係性として把握しこの言葉が指し示す事象を的確に見なければならない。

そうすることでインフレーションという言葉の意味が取れるということです。

で、外国語の単語は、その言語の中でのみ意味を持ちます。

それを、近い雰囲気の日本語に置き換えてもその単語の意味を理解するのは無理であり、

やはり、その単語を理解するためにはその単語が用いられる文章を覚えるしかない。

これは特殊なことではなく、

われわれが日本語を覚える時に必ずやっていることです。

ある単語の意味をアプリオリに覚え、それを日常会話に用いることなどほとんどなく、

基本的に私たちは文章として単語を覚えているはずですし、

覚えた文章を切り取って日常会話をしているはずです。

 

いきなり「コンセンサス」と言われても、それの意味を辞書的に教えられても、

たぶんその言葉を使うことはできません。

その言葉が使われている状況を知り、

その言葉が使われる文章をいくつも見聞きすることで、

その単語の意味を知り、その単語を使えるようになるわけです。

もちろんこれは敬語もそう。

敬語の成り立ちを知識として知っていても使うことはできません。

正しい敬語を、その文章そっくりそのまま、その文章が指し示す状況とともに覚えること、

これが敬語を使いこなせるようになるということだろうと思います。

しばしば、学校の先生は敬語を使えないと聞きます。

もちろん人によるわけで、このことの是非はどうでもいいことですが、

でも、少し的を射ているような気がするなと感じることもあります。

それは、やはり職業柄、生徒や保護者を相手にする機会が圧倒的に多いわけで、

おそらく、対外的な意味で敬語を使わなければならない状況にはあまりおかれない。

企業なら、20代初めの若者が上司に連れられて取引先を回る。

ここで失敗をすれば会社の業績に響くかもしれないわけで、

場合によったらクビになるかもしれないという厳しい状況の中で

日々敬語だけに限らず立ち居振る舞いも含めて実戦で経験を積む。

これが敬語をいうかたちを覚えるのに最もすぐれた方法論だということです。

 

とにかく、かたち=関係性を抜きにして物事を理解することは無駄であり、

それはなにも単語に限ることではないと言うのが私のかねてからの主張なのです。