淘汰圧
例えば、私がずっと言い続けているように、
種(でも何でもいいのですが)の分化は小さな変異の蓄積によって
要素間の関係性が変化した結果だとしましょう。
すると、まず大きな枠組みとしての関係性が構築されなければなりませんので、
この関係性に直接的に関わってくる要素の変異は、
他の要素の変異よりは変異する確率が高くなるでしょう。
それは、ある特定の関係性の構築・維持といった方向への淘汰圧がかかるからです。
新たな関係性が構築されたときの他の要素を考えると、
他の要素は、それまでのゲノムの中で研ぎすまされてきたかたちに立脚してきたわけですから、
新たなかたちが骨格をなした時には、そのかたちの中で新たに関係性を構築しなければならない。
それは小さな変異で済むかもしれないが、
なんにしても特定の方向性を持った淘汰圧が働かなければならないように感じる。
何度も言っているが、淘汰圧は普段はゲノムの安定性に寄与しているはずである。
有利な変異の獲得なんていうのは環境の激変などの特異な状況下で起こることであり、
平時においては、現存するゲノムはその環境下に適応しているものであって、
そこに生じる変異はそのほとんどすべてが有害である、
すなわちゲノムの安定性を乱すものと考えるべきだろうからである。
しかし、ゲノムの根幹に関わるかたちの変異が起こった場合には、
その新たに生じたゲノムはその環境下で洗練されていないこととなるから、
その環境下に適応できる「有利な変異」を獲得する方向への淘汰圧はかかるだろう。
この場合には、遺伝子によって淘汰圧のかかる度合いが異なるのは間違いない。
かたちを維持するために必要な遺伝子は適応的に変化しなければならないから、
それ以外の遺伝子に比べるとおそらく変異の割合は多くなるだろう。
逆に、細胞の代謝など根本的な生命現象に関わる遺伝子は変異を受ける必要性が低いから
大きな変異はむしろ有害であると考えられる。
まあだから、かたち(形態)に関わる遺伝子の変異が大きいこととなろうし、
だからこそ、生きものの形に違いが生じ、
それを持って種の違いとする思考となったのだろうといってもあながち間違いとは思えない。
さらに考えれば、進化速度の違いで遺伝子を分けていくことで
なにか見えてくるものがあるのではないか?とも思えてならない。
まあ、これはあまりにも穿ち過ぎな思考なのだろうな。