ゲノムを比較すると・・・
ここでいうゲノムとは染色体DNAのことです。
私は「ゲノム」という言葉をもっと哲学的な論理体系として用いていますので
この使い方にはすごく抵抗があるのですが、
でも、この文脈でよく用いられていることも事実なので、
まあ深い意味はないと読み飛ばして頂きたい。
(ただ、やはり違う言葉をあてたいとは思います)。
さて、進化の議論をするとゲノムの話になります。
これは、哲学大系としてのゲノムもそうですし、
ただの塩基配列としてのゲノムもそうです。
で、よく出る議論として現存する生きもののゲノムを比較することで
進化の様子を理解するというのがあります。
最近も書きましたがhttps://hashimochi.com/archives/4869、
現存するゲノムの違いというのがはたして進化を表現しているのか?
というところに疑問があります。
共通祖先から、両者が別れたあとに蓄積する変異の方がよほど大きいと思うわけです。
という話をしていたら、それはたとえばその変異の入った年代を特定することで
いつ入った変異なのかの特定ができるという話がなされました。
この時点で「あっ、通じていない」と思ったので、
それについて書いてみます。
ゲノムの差異から進化を見いだすという考え方の根底には、
分岐の時には必ずかなり大きな変異がゲノムに生じたという前提があるわけですが、
詳細は省きますが発生の研究から私たちは、
たとえば「細胞分裂の回数の変化」や「組織が動く方向の変化」という
ゲノム的には非常にわずかな変異、
おそらく塩基配列を見ても痕跡すら発見できないだろうというくらいの変異で、
種分化(のきっかけ)は起こるのではないかと考えています。
ってことは、共通祖先から分岐するきっかけの変異が
ゲノム上に残っていない可能性すらあるのではないのか?ってことです。
もしその可能性があるなら、
現存する生きもののゲノムの違いを解析して進化を物語れるのか疑問となります。
以前にキリンの首の話で議論しましたが、
私は種分化において大規模な変異が起こっているとは思えないのです。
本当にわずかな変異の積み重ねがある瞬間に飽和した時、
その変異した遺伝子同士の関係性が突如変化して
新しいゲノム(すなわち生きもの)を生じたと思っていますので、
ゲノムの比較で進化を知ろうってところに抵抗があるという訳なのです。
これは発生学者の視点かも知れませんし、
それも私のような現象にこだわっている(DNAを毛嫌いしている)研究者ならではの
非常に偏向のかかった見方なのかも知れませんが、
あり得ないことではないとは思います。