日本人と構造論
日本人は構造論が好きらしい。
浅田彰の難しい著作「構造と力」がベストセラーになるように、
日本人にはかなり馴染み易い考え方のようだ。
逆に、どうも西洋人には構造論が分かりにくいとも聞く。
日本人の比較対象に西欧人がよく言われるので、
これが日本人を指すのか東洋人なのかは分からないのだが、
とにかく日本人は構造論が好きなようである。
で、飲みながらぼけーっといろんな妄想をしていた時のこと、
私の名前「主税」ってゲシュタルトだよな、などと訳の分からないことを思っていたら、
そういえば、主がつく名前って知らないと読めないものが多いなあって思った。
例えば主計と書いて「かずえ」、主水と書いて「もんど」。
主と水がこのかたちで並んで初めて「もんど」となるわけで、
これがバラされたら「もんど」の「も」の字も存在できない。
この辺りではすでにかなり酔いも回ってきてるから、
妄想はさらに逞しくなる。
結局は漢字と仮名を同時に認識する教育をされているから、
日本人には構造論的嗜好が普通にできるのかもしれないって。
で、これが「表音文字と表意文字を同時に用いている」ってやっちゃうと
「主税」や「主水」のゲシュタルト的な感覚が消えそうにも思うが、
これら二文字が織りなす「表意文字」と捉えれば問題はないだろうと思う。
で、いつぞや聞いた話しを思い出した。
マンガ文化が日本でここまで根付いた背景についてのことだ。
西欧人は、マンガ(絵)とセリフ(文字)を同時に認識できないから、
ここまでストーリー性のあるマンガ文化を育めなかったというのだ。
対して、日本人は日本語の読み書きを通して、
漢字「絵」と仮名「文字」を同時に認識する能力を身につけているから、
漫画文化が花開いたということらしい。
この議論が正しいかどうかは私には分からない。
ただ、たしかに私が知る限りの西欧のマンガは単調でセリフも少ないように思う。
ゴルゴ13のような、美味しんぼのような、
複雑なストーリーの中にうんちく満載のマンガは西欧にはあり得ないのかもしれない。
ということは、浅田彰とさいとうたかをは同根ということになるのだろうか?