真似と融合と創造

創造とはまさに新しい概念を創成することだろうと思う。

では、これまでにまったく新規の概念の想像がどれほどできてきたのだろうか?

技術の分野では多くの革命的なbrand-newが生まれてきたのは間違いない。

それまでの概念を根本から覆すアイデアが生じたことは難しい本にたくさん例示されている。

 

芸術は模倣から始まるといわれる。

まずは優れた芸術の模倣から入り、

そこから己の独創性が作り上げられたらシメタものだということだろう。

だから、優れた独創にも、それができ上がる時期には、

短いにせよその前身が存在していたのだろうとも思う。

そう考えると完全な独創は限られた天才だけのものだったのかもしれない。

 

ここでもう一つ考えてみたい。

何かの分野が煮詰まった時に革命的に生じる突破口になるものは

まったくの新規概念というよりは、まったく異なる複数の概念の融合である場合がある。

私が大好きなトーキングヘッズというバンドは80年代に革命的なアルバムremain in lightsをだした。

レコードに針を載せた瞬間に全身を振るわせたショックはいまだに忘れられないし、

こればかりはいくら言を尽くしても誰にも伝えられないくらいの衝撃だった。

でも、これはすごく簡単に言ってみればアフリカ音楽とロックの融合であり、

今では普通にあるワールドミュージックの走りと言われて済まされるものだろう。

しかし、その融合こそが誰にもできなかったし、

それをしたDavid Byrneはやはり「天才」といわれるのもある意味では納得できる。

 

話は大きく違うのだが、例えば我々の分野でも同様のことがある。

例えば発生学はもともとかたちの移り変わりをただ観察する学問だった。

しかし、そこに生化学が入って様相が一変した。

まあ、生化学的発想は西洋科学の思想の根本原理のようなものだから

発生学に乱入してきても不思議ではない。

次に、生化学の思想的流れとしては必然とも言える分子生物学が入ってきた。

これは学問の融合というよりは遺伝子という技術の融合という方が当を得ている。

その流れは現在まで続き、というか現在の発生学で遺伝子を語らないものは認めてもらえないくらいに

学問の根本にまで根付いてしまった感はある。

まあ、これらは科学の発展と融合との比較的分かりやすい例であるが、

大きな発想転換になったかといえば、内容は細かくなったけれど概念的にはなにも進んでいない。

しかし、挑戦的な研究者は発生学に数学を持ち込んできた。

あるいは哲学的な理論を繰り広げようとした。

後者はいまだにどこに向かっているのか分からないようにも思うが、

数学との融合は大きな概念転換を印象づけたと思う。

 

ただ、これを独創的かと問われればYesというには少し抵抗がある。

これは人により感じ方は異なるのだろうが、

独創とは、既存の知識を単に融合するのとは違うような気がするのだ。

もちろん、単純に融合するだけでこのような発展を見ている訳ではないだろうから、

才能と努力には賞賛を惜しまないのだが、

でも、ミッチェルの化学浸透圧説のような衝撃を感じることはない。

これは、科学に対する私の理想の高さが問題であって、

この理想で言えばおそらく私が興奮する大発見は百年に一度しかないのだろう。

 

とにかく、まったく新規の概念を作り上げることだけが大発見ではないとは言える。

なにもできない素人に毛の生えたものが独創などできるはずも無いだろうから、

まずは真似から入るのは当然のことだろう。

そして、自由な発想から学問領域を越えた融合にまで踏み込めればシメタものだろうと思う。

そこから、まったく新規ではないかもしれないが、

新しい概念の創造が起こるのは間違いのないことだから。