今日の芸術

岡本太郎の「今日の芸術」を読み続けている。

何度も止まり読み返したりしているので小説を読むようには進まないのだが、

楽しんで読むことができている。

ご承知の通り、私はすべての物事を「関係性」の視点から理解する傾向にある。

だから、岡本太郎の文章も「かたち」の観点から読んで面白いのである。

岡本の主張をそのまま理解しているというよりも、

それをかたち論的に考え直して楽しんでいるということだ。

 

で、純粋に岡本の著作を読むと実は違った感想を持ってしまう。

文章に共感する部分は多いのだが、

その主張の中に何とも表現しようのない卑屈さを感じるのだ。

岡本のことはなにも知らない。

太陽の塔の作者であるくらいの知識しかない。

どんな育ちをしたのか?ご両親がどんな人なのか?

もしかしたら常識なのかもしれないことも含めてまったく知らない。

しかし、なんともいえない幼少期の鬱積した何かを感じてしまう。

現代芸術(1954年以前のことだが)、あるいはその大家と称される人への批判や、

 

頑張ってアバンギャルドを演じているその主義主張の中に

かなり大きな論理矛盾を感じてしまうのだ。

ただし、思想を言語に置き換えることはほぼ不可能なので、

言語的な表現による齟齬で終わる話なのかもしれない。

 

誤解して頂きたくないのは、

「今日の芸術」の中にほんの少し鬱屈とした臭いがするというだけの話であって、

しかも、それは橋本が感じているだけのことなので、

それでこのほんの価値がいささかも低下させるものではない。

いまだからこそ面白いと感じる部分もあるのはまがうことなき事実である。