宗教画
標題のことについて何の知識もありません。
間違いだらけのことを書くかも知れませんがご容赦ください。
さて、私にはどうもキリスト教の宗教画が肌に合いません。
宗教画と一般論化して良いものかどうか知りませんが、
マリアさまやキリスト誕生など、聖書をモチーフにして描かれた肉厚の絵のことを言っています。
肌に合わないという生易しいものではなく、
心の奥底に、徹底的に拒絶する感情があるようにすら思えます。
心の根幹を刺激する不快感があります。
理屈を超越した生理的嫌悪感とでも言うしかないように感じます。
油彩やフレスコ、フレスコは写真でしか見たことありませんが、
油彩なら美術館に何度か見に行きました。
学生の頃には無謀にもエルグレコ展にも行ったことがあります。
そして、気持ち悪さだけを感じて帰った記憶があります。
話は変わりますが、ピカソがゲルニカを発表したとき、
大人はただの落書き程度にしか思わなかったそうですが、
子供たちは恐怖のあまり泣き叫んだとききます。
子供の持つ純粋な心に響いたのでしょうか?
ピカソの例を持ち出して、「だから私は純粋だ」などと程度の低いことをいうつもりはない。
ただ、この畏怖の念ともいえる感情が
ただの拒否感ではなく、琴線に触れ過ぎて、琴線が響き震え過ぎて、
それが恐怖の感情となっているのかもしれないとも感じます。
ただ、純粋に不快であるわけですから、
心のどこかでそれに共感していると考えるのには抵抗があります。
こういう気持ちってフロイトあたりは分析的に何か答えを出してくれるのでしょうか?
まあ、そんな答えはまったく知りたくありませんが。
それに、四捨五入で50年も生きていると感情が永遠に続くとは思いません。
だから、いつかは宗教画を肯定的に理解できることがあるかも知れません。
そのときまでにどのような気持ちの変化があり、
どのような経験を積んでいるのかには興味があります。
ちなみに、この20年ほどの私は梅原龍三郎の風景画を好んでいます。
紫禁城とか北京秋天とか、いいですねえ。