義務と権利

日本って国は個人の権利をかなり拡大解釈しているように思う。

そう思ったのはアメリカに住んだときだ。

アメリカは自由の国だし、個人の権利が尊重されている国だと思っていた。

それはもちろんそうなのだが、その自由というのはかなり厳しい制約の中にある。

もしかしたら、個人主義の中で築き上げられた民主主義社会だからこそ、

個人の権利はある程度制限されなければならないという思想が生まれたのかもしれない。

例えば、カリフォルニアで山火事があったとき、

火事の火の手がまだ遠い時にも避難命令が出たが、

それは警察も出動して有無を言わさない「命令」だった。

たしか、命令に従わなければ逮捕されたと記憶している。

また、アメリカのテレビCMでビールを飲むシーンはない。

日本語放送で、日本メーカーのCMであっても、

日本では流されているビールを飲むというシーンの直前で映像は変わる。

調べた訳ではないが、おそらく子供への影響を考えてのことなのだろう。

経験されたことがある方もいらっしゃるだろうが、

アメリカでは酒類を購入するのにほぼ必ず身分証明書の提示を求められる。

私が住んでいたときは30を越えていたのだが、

それでもほぼ毎回、免許証を見せていた。

また、コンビニでもレンタルビデオ屋でもそうだが、

女性の裸が見えるものは物理的に隔離されたところに並べてある。

それらを見たい人の権利は奪わないが、

見たくない人や子供など見せたくない人の目にはさらさないという思想だ。

寝ているからと子供を車においてスーパーなどで買い物をすると逮捕されるし、

しつけだからと子供を叩くとその瞬間に傷害罪だ。

家庭内暴力(あるいはDV)という言葉で表される本質が日本とはまったく異なっている。

だから、日本人の子供などは蒙古斑があるので

子供に対する暴力と誤解されることも多いと聞く。

 

それに比べて日本では「自由だ」「権利だ」といえば何でも通る雰囲気がないか?

民事不介入の質が違いすぎることはないだろうか?

個人の自由や権利を越えて公権力が入り込めないような不文律がないだろうか?

欧米以上に、自由や権利に対する規制に消極的な気がする。

警察も役所も、「自由」「権利」の文言の前には黙ってしまうように感じる。

いまこのようなことを書いているきっかけは、

非難指示が出ているところにまだたくさんの人が残っており、

その人たちに対して「説得を続けるしかない」と役所が言っていると報道されていることだ。

問題の是非は軽々には言えない。

ただ、国家とは国民の命を守ることが最大の使命だろう。

その時にはある程度は強制力を持ったかたちで国民の自由を制限する必要もあると思う。

それが日本国民にはできないように感じられて仕方がない。

 

おそらくは村社会のような暮らしをしてきた日本人の中に

「個人の権利」「自由」といった思想が単独で入ってきたからなのだろうと思う。

その背景をも含めて権利や自由の思想が入れば良かったのだろうが、

権利という言葉がある種のアンタッチャブルになってしまっているように感じる。

本当の民主主義はかなりの義務と責任を負うある程度は窮屈なものなのだが、

その窮屈さを受け入れることなく楽な部分だけを輸入してしまったのだろうか?

民主的という言葉を金科玉条のように無批判・無条件に受け入れた結果がいまなのかもしれない。

何度も書いているが、民主主義とは形態のひとつにすぎない。

他の形態同様に矛盾や弱点も併せ持つ。

それが、戦後の教育で民主主義を絶対的なものとして教えてしまった。

その成り立ちから考えさせることを放棄してしまったように思う。

だから「権利」と「義務」が一人歩きしているのではないだろうか。

 

なお、蛇足だが、この文章は「だから外国が素晴らしい」といいたいのではない。

私は子供のしつけに体罰を容認する立場を取る。

この意味では欧米とは一線を画すると思う。

よく、海外賛美の自虐史観をもつ「文化人」がいる。

「アメリカでは」「イギリスでは」「欧米では」が枕詞になるような人たちだ。

「日本は遅れている」ということを言うのが格好いいと勘違いしている人たちのことである。

少なくとも私はそっち系ではない。

なぜなら私は欧米が好きではないし日本国が日本の文化やしきたりが好きだからだ。

 

追記

私は、このブログを週末に書いている。

で、投稿予約をしてできるだけ毎日新しいものを載せられるようにしている。

本稿も、イモリ採りにいく前に書いたのだが、

なんとこの日本でも先日強制力を持つ立ち入り制限が行なわれた。

この文章を書いた時には思いもよらなかったことなので、

あまりのタイミングの良さに変な気持ちになる。

あのときの状況といまの状況で同じ文章を読み比べてみると不思議に印象が異なるからおもしろい。