原発の是非について

予想されたことながら「反原発」の動きが大きくなっているそうだ。

私は積極的推進派とは言わないまでも原発容認派だろうと思う。

そこで、以前の本欄にも書いた(https://hashimochi.com/archives/3522)が

この辺りについてあらためて考えてみたい。

 

技術である限りは限界はある。

当然想定を越える事態も、可能性だけを考えれば起こりうる。

だから、もし原発が暴走し始めたらどうするかという議論は必要である。

暴走しない為にどれくらいの技術を駆使できるのか、

暴走し始めたとしてどのレベルまでそれに対応できるのかについては

詳細にかつ科学的に議論されうる事柄の最たるものだろう。

その際に、ここまでの安全が確保されるのなら原発はあっても構わないとするか、

この程度の安全性では原発は動かしてはならないとするのかは、

まさに個人によって異なる判断であり、

それは国民の総意に基づき決断されるべきことなのだろうと思う。

 

私がここで問題にしたいことはこの点ではない。

今回の事故を基準に原発の是非を考えることの愚である。

今回の原発の問題は間違いなく人災だろう。

まず建設ありきで設計基準が作られているからであり、

最悪のことを想定しないで安易に許可が出されたからである。

この点に置いて東電よりも問題があるのは日本国政府だろう。

何の根拠も示さずに「安全です」というだけで、

あとはその地域にお金を注ぎ込んで黙らせてきた背景には

科学の「科」の字もみえない。

そもそも我々の科学なんてたかだか100年と少しくらいの経験しかない。

それを根拠にして、しかもその根拠を明確に示すことなく、

建設に向かわせたものは何だったのかと不思議に思う。

 

過去最大級の揺れや津波のさらに大きなものを想定するのが危機管理だ。

すべての電源が届かなくなった時に、

しかもバックアップ電源も動かなかった時にどう対処できるのか?

何メートルの津波が来た時にすべての機器は安全であり、

何メートルから問題が生じるのか?

その問題を回避する為にどうしたらいいのか?

それを徹底的に議論し、納得の上で物事を進めなければならない。

今回のように、最悪を想定しないレベルの「想定外」を口にされてもどうしようもない。

 

しっかり議論をし、その上で原発(原発に限らずだが)の是非を問う、

それこそが政治の仕事ではないのか?

これは、現在や過去の政府ばかりの責任ではないだろう。

単なる反対だけを唱える野党にも重大な責任があると思う。

原発反対なら電力の安定供給になにを持ってくるのか?

その辺りになると途端に抽象的になる。

 

とにかく、初めに建設ありきではなく、

建設するのなら、単に「安全」と叫ぶのではなく、

最悪の時に起こり得る状況も含めて国民の納得が必要なのだ。

今回の事故に関しては、東電を悪者にして終わるのだけはやめてもらいたい。

建設推進に関わったすべての行程での検証が必要だと感じる。

責任の追及は、個人を責める為にではなく、次につなげる為に徹底的にやって欲しい。

 

それから、これこそ私が言わなければならないことだが、

科学者の責任は大きいと思う。

想定値を容認するには科学者の支持が必要だろう。

いくら何でも政治家や役人が勝手に想定値をあげることはできない。

政治家・役人など推進派の希望に合った数値を出した科学者がいるはずである。

科学者の責任とは科学的な信念に照らしてとられるべきである。

二重三重のチェック体制が置かれるべき根源に科学的根拠があるはずだが、

その科学的中立性が政治家や役人の思惑でゆがめられているとすれば、

二重三重のチェック体制は、二重三重の責任転嫁体制へと容易に変化する。

科学者の責任はかように重大であろうと思う。

 

もちろん原発だけの話ではない。

空港でも施設でも何でも構わない。

実現不可能な需要予測値、言い換えれば建設するために必要な値を出した学者、

もちろん大きい値から小さい値まで存在したであろうに

その値をあえて選択した政治家・役人、

彼らがどのような過程でこのような事を行なえたのか?

そこにチェック機能は働かなかったのか?

それを徹底的に検証してほしいのだ。

 

学者の想定は大きいものから小さいものまであり得るのだが、

危機管理という意味で考えれば最も起こってはならない値を考慮し、

その場合の対応策を何重にも持っていなければならないだろう。

しかし、最も都合の良い数値、最も危険ではない数値を想定し、

逆の数値を出して問いただされると

「仮定の質問にはお答えしかねる」といった答弁となる。

最も危険な想定を「仮定」する事こそが危機管理だろう。

それがこの答弁ではそもそも危機を管理するつもりもない事となる。

現状のような失態を二度と繰り返さないためにも、

あらためて危機管理というものを考えていただきたいし、

我々も見続けていかなければならないだろう。

なぜなら、このような事を繰り返させたのは我々国民なのだから。