論文の論理性1

先日の「本格推理の論理」では本格推理小説について私見を書いた。

では、科学論文の論理性とはどういうものなのだろうか?

これも「本格の定義」と同様に個人の考えが大きく影響するので、

正解というものはないだろう。

なので、これまた私見になるのだが私の好みを書いてみよう。

 

科学論文のネタとは、仮説を実験によって説明する「事実」の積み重ねである。

だから必然的にある種の論理がそこには存在する。

「この実験をしたらこの結果が出た、だから、次にこの実験をしたらこの結果が出るはずだ」

ということの連続が大雑把に見た科学の論理だろう。

毎日の思考と実験によって頭の中にある種の論理が構築されていくのである。

 

さて、では論文はどういうものなのだろうか?

論文の構成としては、まず初めに「序論」がある。

序論とは、その論文で明らかとする事実についての

歴史的意味付けを行なう部分であり、

ある意味では論文の中でも最も重要なところであろう。

しかし、学生などは序論をとばして結果しか読まないことが多いようだ。

序論の次が「結果」である。

これはまさに、こう考えてこう実験したらこんな結果が得られたということを

基本的には時系列で記載する部分であろう。

そして「考察」が最後に来る。

日本語では「考察」と訳されるが、英語ではdiscussionとなる。

すなわち「議論」である。

それまでの時点で提出されているさまざまな論文との議論である。

今回の結果がそれまで発表されている他の研究者の論文と矛盾しないか?

矛盾するとすれば、今回の結果をどのように解釈するのか?

その解釈自体は、これまでの結果や説明と共存しうるのか?

こういうことを「議論」するところなので、

その論文の花にもなる場所である。

ただし、研究内容によったら結果と考察の書き分けが難しいものもあるし、

そもそも結果イコール考察のような論文も少なくはない。

この場合には結果と考察を一緒に書く場合もある。

“results and discussion”である。

 

論文の解説が長くなったので「論文の論理性」については次に書くこととする。