邦訳
先日、「騙し絵の檻」について絶妙の邦題だと書いた。
題名は最初に目が行く場所であるから大切だろう。
特に、その本を手に取るかどうかすら決まるものなのだから。
さて、印象に残っている邦題がある。
こちらは洋楽の題名である。
ジョン・デンバーのデビューアルバムに入っていた(とおもう)、
“Today is the first day of the rest of my life”である。
これの邦題が「人生最初の休息日」(みたいな感じ)だったと記憶している。
いやあ、笑いました。
まあ、いろんな訳し方はあるだろうが、
「今日という日は、残りの人生の最初の一日」くらいの訳だろう。
“the rest”を休息って訳すってことは、
マドンナの”Like a virgin”を「処女が好き!」と訳しているようなもの。
まあ、このレベルの「誤訳」は笑い話として楽しんだらいいのだが、
やはり、外国語を日本語に訳する場合に悩むことは多いと思う。
例えば、英語には日本語のような「敬語」は存在しない。
もちろん、敬語に相当するような表現はあるだろう。
“Give me the book.”と”I would appreciate it if you could possibly give me the book.”では
その「丁寧さ」はかなり違うと思うのだが、
でも、これは日本語の感覚で言う「丁寧さ」とは質が違う。
まったく正しくはないのだが、
この英文の意味するところは「丁寧さ」ではなく「卑屈さ」と極論できるようにも思う。
執事が主人に対して用いる「敬語」という意味である。
この「質」の違いはもちろん文化の違いでもある。
さらに、よほどの「身分」の違いがない限りこのような使い分けはしないと経験的に感じる。
こういう背景の元で、例えば会話をどう訳するのか?である。
たとえば、一人称は”I”であり二人称は”you”であることはどんな状況でもかわらない。
しかし、日本語の一人称はわたし・わたくし・オレ・ボク・拙者・・・何でもいいが様々ある。
二人称三人称も然りで、日本語ではその使い方によって相手のとの関係や話し手の感情が伝わる。
だから訳するのにかなり困難を伴う場合も生じるだろう。
例えば英語で書かれたミステリで、話し手をぼかして、
あるいはまだその時点で明らかになっていない犯人の話として一人称をどう訳すかの場合、
英語なら”I”で済む話だが日本語に訳すとなると困るだろう。
「オレ」と訳せばそれは男性に限定されるのだから。
これはまあ無難に「わたし」とすればいいのかもしれないが、
そこまでの物語にかなり粗野な人物として描かれている人の言葉としたら、
それまで「オレ」とか「ワシ」と話していた人間の言葉としてははなはだよろしくない。
さらには、「わたし」とした場合にも、続く言葉の語尾によって、
男女の違いや、だいたいの年齢も推測される場合が生じる。
日本語は、状況を直接的に伝える手段というよりはむしろ
とにかく相手との関係を微妙にはかりながら用いられる言葉なのだから、
結局、どう訳すかによってその小説の重要な価値が決まると行っても過言ではない。
さて、もう一つの問題がある。
例えばより日本語的に訳すのかそれとも原語に近づけて訳すのかである。
日本語的にその会話を自然な表現として訳するのなら”you”を「先生」とする場合もあろう。
しかし、英語に即して訳すなら”you”は「あなた」とすべきだろう。
何を言っているのかといえば、
日本語と英語は全く違うものなので、英語を話す人たちの雰囲気をすべて表現するなら、
“you”はすべてあなたと訳する方がよいと思う。
日本語的にはかなり不自然に感じられると思うのだが、
英語を話す人たちはそういう感覚で会話をし、思考をするという感覚を表す訳(わけ)である。
しかし、日本語的にはその状況に応じて”you”を先生・あなた・おまえ・・・
などと訳し分ける必要があるだろうし、
その文章自体も柔らかく・固く・粗野に訳し分けなければ不自然であろう。
教授と学生の会話を、刑事と犯人の、親と子の、上司と部下の会話の、
どちらが発する言葉の”you”を「あなた」と訳しては意味すら通じなくなるだろう。
どちらに徹するのがいいのか判断に困る。
ただ、読み物としてとらえるなら日本語として自然な訳でなければ
イライラして読み進めることはできない。