ミステリ小説
何度も書いたが、私はミステリ小説が好きである。
研究に近い興奮を覚えるからという表現ができるかもしれないが、
私からいわせるとそれは逆であり、
ミステリで得られる最上級の興奮を研究でも何度か得たことが
今でも研究を続けている理由だということである。
どんなミステリが好きかと言われれば、
これも今までに何度も書いてきたのだが、
難しいトリックなどのない単純なものが好みである。
単純なのに深いなぞがある。
単純だからこそ、こちらも悩み抜く。
例えば「アリバイ崩し」で時刻表の穴を探すってのは
読むことは読むのだが大して面白くない。
「どうせどこかに穴があって、それを見つけられて犯人が捕まるんだろうな」
くらいに思いながら何となく目を通しているだけである。
だから、実はそのトリックが嘘であっても私は絶対に気付かない。
というか、その本を手に取ってしまったから仕方なく読んでいるようなものなのだ。
また、機械的なトリックをようする密室も好きではない。
糸や針を使って、あるいはその目的の為に建物まで建ててなんて、
「ああそうですか」って感想しかない。
これは本当に好みの問題だろうと思う。
マジック(というより手品)も、
イリュージョン系の大規模なことをやられると
その不思議さに驚く前に「どこかに大掛かりなトリックがあるんやろ」と
斜に構えて見てしまう。
もちろん、どんなマジックにもネタはあるのだから、
この感想は語義的に見てもおかしいことは自分でもよくわかる。
でも、目の前で、自分でもできそうなことをして、
その理屈が全く分からないような手品の方が
イリュージョンの何倍も魅力的である。
ミステリも、淡々と描写した情景の中に謎があるものが良い。
あえて「読者への挑戦」なんて前時代的なことをしてもらわなくて構わない。
こちらも淡々と読み進めていく。
そしてある瞬間に、その瞬間は終わりに近ければ近いほど素敵だが、
今まで描いていたものとは似ても似つかないものに様変わりする。
これが、普通であればあるほど、私にとってはおもしろいのである。
ある部屋で人が殺された。
しかし、いろんな人の話を総合していくと誰かがずっとその部屋を見ていた。
注視していたのではなく、誰かの視線に入る状況が絶え間なく続いていた。
そこで解決が、私でも目線を返れば簡単にたどり着く。
私が普通に読んだだけでは絶対にたどり着けないところに落ちるのである。
しかし、実はその事実は堂々と書かれている。
それこそ、犯人が犯行の時にその部屋に出入りする様子も堂々と書かれている。
しかし、それに読者は気付かない。
それが、ある描写によって白日の下にさらされる。
こういうミステリが大好きなのだ。
それは動機でも良いし、犯罪を行なう機会の問題でも構わない。
とにかく単純明快な謎解きがいい。
複雑な方程式を解く問題は「まあ、そういうこともあるやろな」で終わってしまう。
小学生でもわかる解決に、
しかし大のおとなでも気付かない解決に導かれたときの快感は何物にも代え難い。
いきなり「地球は回っている」と言われたような、
パラダイム変換とでも言うべきカタルシスに襲われる。
この瞬間の為にミステリを読んでいる。
だから、私が好きな研究もそういうのなのだ。
全ての人がそれを見ていた、
いつ気付いてもおかしくないくらい目の前にあり続けてきた、
そういうものであるにもかかわらず、
誰もが何らかの理由で錯覚に陥り真実を見れなかった。
そういった現象に、できれば論理立てと簡単な実験だけで説明付ける、
こんな研究に憧れるのである。
そういうのを見せられると、思わず「あっ!」と叫んでしまう。
「なんで気付かなかったのだろう」と不思議に思い、
その研究者の頭の良さに脱帽する。
論理は単純であればあるほど、実験は簡単であればあるほど、
結果の解釈は明解であればあるほどに感動する。
極端にいえば、小学生にでも立てられるし理解できる論理で、
中学校の理科室でもできる実験で、
世界中の科学者がしていた誤解を解くってのがすばらしい。
だから、当然の帰結ながら私は
「最先端」と呼ばれる科学が好きではない。
最新の機器を用いてっていわれると鼻白む。
このように書けば、私がどのようなミステリ小説を好んでいるか
ご理解いただけるのではないだろうか??
いま読んでいるのは少し古い小説だが、
噂を聞く限り、私の趣味に100%一致すると思う。
すごく期待しながらページをめくっている。