彼岸
仏教者の目的とは彼岸に到達する事、
すなわち成仏する事だろうと勝手に思っています。
彼の岸に渡る時に一人で渡るのか、
それとも大勢で渡るのかが選択の分かれるところでしょうが、
私は原則として一人で渡るものであろうと思います。
経典とは、人々に仏の教えを伝えるものでしょう。
その教えを元に、人はそれぞれに悟りを拓く為の努力をするのだと思いますが、
蓮華経など、意味など分からなくてもある文言を念じれば
成仏できるとする教えもあるようです。
この教えでは、大勢で乗り物に乗って彼の地を目指すのでしょう。
私は、真理というものを様々な考えを学び思索する事で理解したいと願っています。
その考えのひとつに経典があるのはたしかでしょうが、
経典に限る事なく教えを得たいと思っています。
おそらく彼の地に一人でたどり着ける力を
己自身が身につけることを願っているのだろうと思います。
一人で行くのかそれとも大勢で行くのか、
これは是非の問題ではないと感じます。
自分がどう考えるのかの違いなのでしょうが、
私はやはり己の力で成仏したいと思います。
最近の暑さに耐え忍んでいる時
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を思い出し、
そういえばもうすぐに彼岸だなあと考えていたら、
ふとこのような事を思うに至ったわけです。
したがって、まあ大した意味はありません。